とある路線の通勤時間帯の上り電車。この線は都心でも通勤時間帯の乗車率がずば抜けて高く、車内はまさにすし詰め状態である。
その日は運が悪いことに下り線でトラブルがあり、ただでさえ混み合う電車待ちのホームは、いつにも増して人で溢れ返っていた。
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その内自分が乗る電車がホームに入って来て、人混みに押されるように電車内に押し込まれて行った。
その時、下り線で通過電車が通過する際に何か悲鳴が上がったような気がしたが、上り電車はそのまま走り出した。
『くっそー、今日はやけに混んでやがる。でも前が女性だからラッキー』
電車の揺れに抗うことなく、右へ左へ揺れながらこんな事を考えていると、ふと前の女性がこちらをチラチラ振り返っている。
『?なに?』
不思議に思っていると、その女性は困ったような、怒ったような顔をしながら、相変わらずこちらを振り返りっている。
その内小声で「止めて下さい」と言い出すではないか!
『え、え、え!? なに!? 俺、まさか痴漢に間違われている!?』
焦って両手を引き出したいのだが、完全に体勢は固まってしまっており、上手く手が引き出せない。
その内女性の異変に気付き始め、周りの視線も女性と私に集まり始める。
『まずいまずいまずいまずい!!!!冤罪だ冤罪だ冤罪だ冤罪だ!!!!』
その時、女性が意を決したように私の方を睨み付けこう叫んだ!!
「この人痴漢ですっ!」
女性が叫びながら手を上に上げた時、ちょうど電車が揺れ、私の両手も自由になり、彼女の叫びとほぼ同時に私は両手を上に上げた。
集中する電車内の好奇な視線。
女性の睨み付ける視線の先は相変わらず私であったが、その彼女の視線が不意に揺れた。
彼女の視線は、私が上に上げた両手に行き、そしてその後に自分が揚げている右手に注がれた。
彼女は自分の体に這い回った痴漢の手を私の手だと思い、掴んで持ち上げたのだが、それは私の手ではない。
彼女が掴んだ手。
その手の主を確認しようと視線を移す。
しかし、その腕の持ち主は…。
「きゃーっ!!!」
電車内に響き渡る悲鳴の中、電車は次の駅に到着し、車内の人が押し出されるようにホームに吐き出される。いつもの光景。
だが、一つだけいつもと違っていたのは、ホームに呆然と立ち竦む女性がいる事。
その女性が先程まで私を痴漢だと勘違いしていた事。
そして、その女性の右手は、しっかりと一人の男性の腕を握り締めており、その腕の肘から先はそこには存在していなかった。
※
その日の夕刊記事より
【○○線で人身事故 ダイヤ大幅に乱れ】
○月○日午前○時○分、○○線下り線○○駅にて、通過電車に男性が巻き込まれる人身事故が発生し、男性が即死した。
(中略)
その時間帯、車両トラブルによるダイヤの乱れが発生しており、ホーム上は人で溢れ返っていたため、事件、事故、自殺等あらゆる側面からの捜査を余儀なくされている模様。
尚、人身事故発生のほぼ同時刻に、上りホームを出発した車内から、同人身事故の被害者の右手肘から先の部分が発見されている。
なぜそのような状況が発生したのかは今のところ不明であり…。