俺の親の実家の墓には、明治以前の遺骨が入っていない。
何故かと言うと、その実家がある山奥の集落には独自の土着信仰があり、なかなか仏教が定着しなかったから。明治まで寺という概念すら無かったらしい。
その『土着信仰』なんだけど、結構特殊なものだった。とあるホラーゲームの影響で、俺は学校のレポートの題材にこれを選んだ。
そもそも土着信仰とは、外界との交わりのない集落に於いて発生する集団睡眠が発展したようなものだと思っていたから、俺はその土着信仰を信じていなかった。
俺が題材に選んだ土着信仰は、簡単に言うと山を信仰していたという感じのものだった。
俺の祖先とも言える人々が住んでいた集落は山に囲まれたところにある。もちろん海なんて馬鹿のように遠いし、前述のように仏教より土着信仰が定着するような世界だったから、食料は殆どが山の幸だった。
魚も山の川で獲れる物、畑も山から流れ出る川の水が必要不可欠であったし、季節の山菜も大切な食糧であった。猪や熊といった動物の肉も山無くしては得られない。
山に支えられて生きてきた集落だったから、独自の『山中心の輪廻思想』が作られた。山の作った糧を得て、生活を営み、死んだら山に還り、山の養分となり糧を生み出すという感じ。
そこで、また独自の埋葬方法が生み出された。それについては後で述べたい。
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ただ、俺は集落で聞き込む内に、山が神格化さていた訳ではなく、山に住む神様に対する信仰があり、そこから『山中心の輪廻思想』が出来たと知った。それが問題だった。
その山に住む神様を、俺は簡単に『ヤマガミ』と呼ばせてもらう。
そのヤマガミ様の何が問題かと言うと、よくある鶏が先か卵が先かの話に例えたい。
信仰対象であるものが同じもの、山=神様の場合、鶏=卵であり、どちらを先にしてもどちらも同じものなのだから問題ない。
しかし、山=神様でないとすると、山が先にあり、信仰されていたから、そこに神様が生み出されたのか。
それとも、神様がいたから、その山が信仰の対象になったのか…と、鶏が先か、卵が先かの問題が始まる。
聞き込みを鵜呑みにするのなら後者で間違いないのだが、俺は山に住む神様だの幽霊だのに会ったこともないのだから信じていなかった。
集団催眠として扱うのなら圧倒的に前者の方が楽だったこともあり、俺はそのヤマガミ様の調査を始め、存在を否定しようとした。
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まず、以前聞き込んだ家も含め数々の家を訪ね、ヤマガミ様について聞き込んだ。
「おじいちゃんのおじいちゃんが見たことがあると、おじいちゃんから聞いたことがある」といった骨董品的な目撃情報や、ご丁寧に目撃した人物、場所、時間、ヤマガミ様の格好、反応をまとめて本のようにされた物もあった。
結果、2日かけて目撃情報を集めたのだが、面白い事が二つ判った。
しかし、その前にその集落独自の埋葬方法について説明させて欲しい。
死んだ人間を棺桶に入れるところまでは変わらないが、その棺桶を故人の家族が交代で担ぎ、近所の村人たちが鈴を鳴らしながら山の中腹辺りにある割れ目まで運び、棺桶ごとそこに投げ込むといったものだ。
その割れ目がかなり深いものらしく、底に落ちて行った棺桶は山と融合し、死者は大地に還るということらしい。
割れ目の淵には石の塔があるのみで、墓というよりは儀式の場所に近いものだと聞いた。
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さて、面白い事の一つは、その埋葬方法から普通の火葬し墓に埋める方法に変わってから、ヤマガミ様を見たものはいないということ。
これは山を信仰する儀式の風化により、ヤマガミ様を信じる人間がいなくなったためだとも考えられる。
つまりこれは集団催眠だと証明するに於いてかなり強いカードになる。
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そして、もう一つ面白いのは、外見が一部分以外バラバラだということ。
ある時は猪の体だったり、人型だったり、羽があり飛んでいたりと、外見が一部を除いてバラバラだった。
同じ一部分というのが、顔だ。全て、石のような丸い顔に白い苔が生えフサフサしていて、目の位置には触角のようなものがあるという事だった。
これもインパクトのある部分以外違っているということ。つまりこれも集団催眠だと証明するに於いて強いカードだ。
しかも、ヤマガミ様は遠巻きに人を見ているだけで、逃げても追っても来ず、追いかけると逃げ出すだけだった。
つまり、話しただの遊んだだの直接的な接点は無く、遭遇者全員がただ見ただけであった。
ここまで調べると、後は儀式の場を見に行って「僕も探してみましたが、現にヤマガミ様に会いませんでしたから、そんなもんいません」という事にしようと俺は布団に入った。
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翌日、バイクで近場のスーパーへ20分かけて行き、スポーツドリンクとポテトチップスのうす塩味とコンソメ味、ガム類、チョコ、おにぎりを買った。
出発は午後14時を計画していた。話を聞くに徒歩30分ほどでその場所には着くらしい。
一応聖域だということで、祖母に渡された線香と、買い込んだ菓子類をリュックに詰め、俺はその『聖域』に向かった。
砂利道を歩き沢を越えたところで、もう本当に森の中だった。何年使われていないのか分からないが、荒れ放題だった。
俺はポケットからイヤホンを出し、携帯に繋いで音楽を聴きながら歩いた。
木の根っこを踏み越え、笹をよけて行きながら地図を確認し、このまま真っ直ぐで良いことを確認すると、俺はリュックの脇に差してあったペットボトルを抜き、スポーツドリンクをラッパ飲みした。
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太陽が見え、手を下ろして前を向いたら、30メートルほど先に『ヤマガミ様』が居た。
凄く不思議な感覚だった。ペットボトルを手に提げたまま俺は硬直していた。
人型だった。全身真っ白で、顔が本当にフサフサした苔のような白い何かで覆われていて、目があるところに触角みたいなものがあった。口は見えなかった。
モリゾーだっけ、あれから目と鼻と口と色を引いて触角だけを足したような感じだった。
耳元で鳴っているはずの音楽も聴き取れないような、もう本当の無音だった。
手足の感覚が無く、目も反らせないまま、頭だけが動く。金縛りみたいだった。
ヤマガミ様も俺を見ていた。異常なほど体感速度が圧縮されたみたいに長い時間を感じた。
すると、ヤマガミ様が視界の中で大きくなってきた。
俺はヤマガミ様の全身を見ていた。ヤマガミ様の手も足も動いていないのを確認していた。
俺は立ち竦んでいた。足が前に進めるなら逃げ出している。
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ヤマガミ様が大きくなっているように見えたのは、何のアクションも無くこちらに接近して来ていたからだと気が付いた。
あと10メートルほどの距離という所で、唐突にある事に気が付いた。
今まで近付いて来たという例は聞いたことがなかったのだ。
もし、ヤマガミ様が人を食うとしたら? 今まで崖に落とされた棺桶の中の死体を食べていたとしたら?
人里に糧を与えていたのも、人間がいなくなり死体を食えなくなるのを防ぐためとしたら?
何十年も人を食えないで腹を空かしてたとしたら? 俺が格好の餌としたら?
歯がガチガチ音を立てた。距離はあと5メートルくらいだった。俺よりも二回りも大きかった。
ヤマガミ様の顔の触角の下辺りの口がある部分がモゴモゴ動いた。
俺は死を覚悟しようとしてし切れず、ただ歯をガタガタ鳴らしていた。
ヤマガミ様の顔が視界から消えた。石のような見た目の腹が目の前を埋め尽くした。
ヤマガミ様がしゃがみ込み、触角が俺の顔の真ん前にあった。口の位置がモゴモゴしていた。
「ひっ」という声が出た。何かが頭に触れた。八つ裂きにされ食われると覚悟した。
「さむしい。さみしい。さびしー。さむしい」
俺にはそう聞こえた。気付くと俺はペットボトルを手に立ち尽くしていた。
耳元で鳴る曲は、スポーツドリンクを飲んだ時と変わっていなかった。
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俺は耳からイヤホンを外すと、地図を確認し割れ目の淵まで歩いた。
石碑が建っているだけの、谷みたいな場所だった。
俺は持ってきたポテトチップスうすしお味の袋を開け、一枚取り出すと齧った。
そして、袋の端を掴み割れ目の中に撒いた。コンソメ味も開け、同じように撒いた。
線香に火を点け地面に立て、チョコを半分脇に置いて俺は帰路についた。
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結局、自分の体感したものが何だったのかはよく解らないし、俺も調べていく内に催眠にかかったのかもしれない。
締め方が分からないけど、土着信仰って何か素敵だよな。