私がビル警備員のバイトをしていた時の話です。
場所は都内のSデパートですが、当時でも既に一般的な設備は乏しく防火シャッターの開閉は勿論、エスカレーターやエレベーターの設定変更等も、中央管制で管理室から…という訳にはいかない処でした。
閉館になり、お客さんを導線に誘導し、Sデパート社員を無事に建物から追い出したら、店舗内の異常がないか確認をしながら巡回します。
そのデパートは、建物の構造上細長く、警備の巡回ルートもかなりの距離になります。
そのせいで、私がI号ES(エスカレーター)の前を巡回したのは、待機所に近いにも関わらず深夜1時頃でした。
モーターの動く音がするので、防火扉を開けて、中を覗いて見るとI号ESが起動している音でした。
私は管理室に無線で確認を取ると「メンテは入っていない、多分ES停止の担当者が停止し忘れたのだろう」とのことです。
ESの制動鍵は巡回者全員が所持しているので、当然ついでに止めておいて欲しいと連絡を受け、恐らく仮眠室で眠りについている担当者に悪態をつきながら、私はいつものように鍵を差し込み停止ボタンを押して、ESを停止…停止…しませんでした。
古い建物です、設備もがたがきていても不思議はありません。そういえば、頻繁にI号ESはメンテをしています。
私は再び管理室に無線を入れました。担当者は、したくても停止できなかったのではないのか、だとすると管理室に報告が入っているはずです。
しかし、帰ってきた答えは、「それならば、最初の連絡時に伝える」との事。そりゃそうです。止まらないのなら、それは仕方のない事です。私は対応を尋ねました。
すると無線のノイズとは別に、何やら異音が聞こえます。
からかっかっ…とクラッチを入れ損ねたような乾いた音。次いで、ごおん、ぐぎょぎょ…じゃり、じゃり…と濡れた砂利道を踏むような音がします。
私は、余りに場所にそぐわない突然のその音に、身動きが取れません。後で考えると音の中に、「…て…て…な…」と声が聞こえたような気がします。
呆然と立ち尽くしていると、突然I号ESは停止しました。
※
しばらくして、正気に返った私は事の次第を、I号ESが怪音を発しながら停止した事を管理室に告げました。
すると、整備業者に連絡をとったので、いったん待機室に戻り着き次第作業の立会いをするように言われました。最悪です。
1時間と待たずに業者は到着しました。
整備業者は、何も言わずI号ESに向かって行きます。私は管理室から連絡を受けたのだろうと思い、慌てて後を付いて行く格好になりました。
I号ESに着くと、おもむろに業者は整備ハッチを開け、ESの下に潜っていきます。
私は、黙ってES室から離れた場所に立ち会っていると、ほんの10分もしない内にごうん、ヴィーンと音を立ててESは私に向かって登るように動き出しました。
しかしその後待てど暮らせど、業者が出てきません。更に10分ぐらいすると、下の方から人影がESに乗って登って来るのが見えました。
私は、業者が下のハッチから出たのかと思い、「ご苦労様です、早かったですね」と声をかけました。しかし、確かに人影に見えたのに誰もいません。
ただ、空気が揺らいでESに人が乗っているかのように見えるだけです。私は、突然全身を恐怖に襲われて、動く事が出来ません。
口をパクパク上下させるだけで、声も出ません。
10分ぐらい固まっていたでしょうか、突然無線から応答がありそれを合図に全身の緊張が解け、カラダが動くようになりました。管理室からでした。
整備業者が到着したので、早く待機所に戻って来いと怒鳴っています。
え…?
後で聞いた話によると、I号ESは、以前整備中にESが動いて、ベルト(足を乗せるところ)巻き込まれて死んだ人がいるそうです。
その後も、1人同じように亡くなり、事故が絶えないESだそうで、整備業者の人も、作業を嫌がっていました。
時給は良かったのですが、これ以外のことも起き、私はこの仕事を早々に辞めました。