物事には終わりというものが必ずあり、それは突然訪れるものだと知ったのは、15歳の冬の終盤だった。
卒業を目前に控え、慌ただしく日々が過ぎる中、僕の親友は学校を休みがちになった。
以前は学校を休む事など殆ど無く、たかが一日休んだだけで心配して見舞いに行ったくらいなのに…。
ここ最近は教室に居るのを見ることが珍しいほど、彼は学校に来なかった。
時々学校に来ても、何を聞いてもヘラヘラ笑うだけで何も言わなかった。
会う度に目の下の隈は濃くなり、見るからに痩せ細り、声は掠れている。
それを心配しても、何でもないと言い切り、そして他愛も無い話をしては、またヘラヘラ笑って帰って行く。
そして次の日は来ない。それの繰り返しだった。
でも、そんな他愛も無い日常も、幸せだったと気付く事件が起きた。
※
その日もやはりナナシは休んでいた。そのことに特別何も思うところはなかったが、帰り際。
「藤野、七島にこれ渡しといてくれ」
進路関係の書類をナナシに届けて欲しいと担任から頼まれた僕は、ナナシに渡しに行くことになった。
怖い思い出しかないナナシ宅に行くのは気が引けたので、電話で公園に呼び出すことにした。
※
そして夕方、ナナシはやって来た。随分とふらついた足取りで、ヒラヒラ手を振りながら。
隈は増々酷くなっていた。流石に僕は心配になり、ナナシを問い詰めた。
「お前、どうしたんだよ」
「別に、何もないよ?」
「んな訳ないだろ。何だよその隈。頼むから…答えてくれよ」
真剣に言った。
するとナナシは、ゆっくりと静かに言った。
「成功したと、思ったんだ。上手く行ったって」
絶望的な笑顔をナナシは浮かべていた。泣き笑いとでも言うのか、無理矢理に笑っているような表情。
「何が」
と訪ねると、ナナシは声を震わせて言った。
「…大丈夫。今日、全部終わらせるから」
ナナシはいつものようにヘラヘラ笑った。
終わらせるって、何を。そう思ったけど、聞くことは出来なかった。
何故かその時、ナナシが別の世界の人のように思えた。
ナナシと別れてからも、頭の中はナナシが何をする気なのか、そのことで一杯だった。
自棄を起こさなければ良いが、ナナシなら何をしでかすか分からない。
墓でも荒らすのか、黒魔術でもやるのか、見当が付かなかった。
ナナシが言う『成功したと思った』ということの意味も解らなかった。
※
そんなことばかり考えていた深夜三時。突然、携帯が鳴った。
表示される名前を見ると、アキヤマさんからの電話だった。
「もしもし」
「ヤバイことになったみたい。嫌な予感がする。早く来て。急いで!!!!」
それだけ言うと、アキヤマさんは電話を切ってしまった。どこに行けば良いのかも言わないで。
でも何故だろう、解っていた。ナナシのあの家だ。
僕はパジャマのまま家を飛び出して、自転車を必死に漕いでナナシの家に向かった。
※
道の途中、アキヤマさんと出会った。
アキヤマさんは僕と同じような出で立ちで、ガタガタ震えていた。そして顔面蒼白だった。
「どうしたの!!ナナシは!?」
「解らない。解らないけど、ヤバイ。ヤバイよ、どうしようもない。どうしよう」
いつも冷静なアキヤマさんが動揺している。どうしてしまったんだ。一体何が起きたんだ?
僕はアキヤマさんを後ろに乗せて再び走り出した。
すると、
「あああああああああああああああああああああああの女があああああああああああああああ
悪いんだあぁああああああああああぅううあぁあああああああああのおおおおおお女がああ
ああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!!!!!!!!」
濁ったようなどす黒い声が聞こえて来た。
アキヤマさんかと思い振り返ると、アキヤマさんは鬼のような形相で、
「早く走って!!!!!!追い付かれる!!!!!」
と叫んでいた。
その後ろ、僕の自転車の後輪のやや後方に、四つん這いになって走って来る女が居た。
目は窪んでいるのか穴が空いてるのか真っ黒で、口は縦に大きく開かれていた。
そして物凄いスピードで走って来る。
怖かった。怖くて怖くて仕方が無かった。
声は近くなったり遠くなったりする状態を繰り返している。
はっきりと呪いの言葉を吐きながら。
「死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね
死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね!!!!!!!!!!」
耳が痛かった。呪われている気分だった。それでも必死に自転車を走らせた。
アキヤマさんは僕にしっかりしがみついていた。そしてその手も震えていた。
※
声はいつの間にか消えて、その頃にはナナシの家に着いていた。
自転車を降り、インターホンを鳴らした。
その時、
「ギャアアアアアアアアアア!!!!!!!!!」
という凄まじい声が、家の中から聞こえて来た。
断末魔というのは、ああいう声を言うのだろうか。腹の底から絞り出したような声。
僕とアキヤマさんはナナシが出て来るのを待たず、ドアを開けようとした。
すると、
「…どうしたの」
ちょうどドアが開き、ナナシが出て来た。
虚ろな目で僕とアキヤマさんを捉えていた。片手には包丁が握られている。
「晩メシ作ってたんだよ」
ナナシは包丁をヒラヒラとさせると、
「用事ないなら帰れよ」
と言った。
突き放すような言葉だった。直感的に、いつものナナシじゃないと思った。
さっきの悲鳴は何? あの追い掛けて来たものは? 大体、夜中の三時に晩メシを作る訳がないし。
聞きたいことは沢山あるが、何も言えなかった。
不安になってアキヤマさんを見た。アキヤマさんは震えて俯いていた。
そして静かに、
「帰ろう」
と呟いた。
※
僕は訳が解らないままアキヤマさんに手を引かれ、自転車を引きながら帰った。
アキヤマさんはずっと黙っていたし、僕も黙っていた。
そして曲がり角で、アキヤマさんがポツリと言った。
「もう、だめだ。どうしようもない。もう、手遅れだ」
泣きそうな声だった。
それだけ言うと、聞き返す間も無くアキヤマさんは走って行ってしまった。
※
その言葉の意味を理解することになったのは、その次の日のことだった。
そしてそれが、最後の夜になった。