学生生活も残り半年余りとなった頃。
その頃、既に僕らは進学組と就職組に分かれ、それぞれの勉強を始めていた。
僕とナナシは進学組、アキヤマさんは意外にも就職組で、その頃は次第に疎遠になっていた。
※
「イイの見つけた」
その日、視聴覚室に篭って勉強をしていた僕に、青灰色のボロい本を携えたナナシがヘラヘラ笑いながら近付いて来た。
その本はどうやら図書館の寄附コーナーからナナシがパクッて来たらしい。
僕らの地元にあるその図書館は木々に囲まれた公園の端に建っており、なかなか貫禄がある。
また、よく寄附本が集まり、その中には黒魔術などの怪しい本も集まる。
ナナシ曰く、その中に偶に『アタリ』があるそうだ。
「で、それはアタリな訳だ」
「アタリもアタリ、大アタリだ」
ナナシは笑った。
普段はお調子者でヘラヘラしていて、クラスの人気者なナナシだが、ある日を境にオカルト好きな本性を見せるようになっていた。
「これ、革が違うんだよ」
ナナシが嬉々として本の表紙を摩った。
僕も触れてみたが、確かに普通の本よりザラザラした革表紙だった。
「何だよコレ」
聞いてもナナシは答えなかった。
ヘラヘラ笑いながら、革を撫でている。
そして徐に本を開くと、
「さあ、始めようか」
と言った。
ナナシは僕にあの本を渡すと、視聴覚室の隅に立つよう命じた。
僕は今から何が起こるかも分からないまま、素直に隅に立った。
ナナシは本から切り取ったページを片手に、凄い速さで黒板一杯に文字を書き出した。
英語なのか漢字なのか分からないが、見たことの無い文章や図がズラリと並ぶ様は相当薄気味悪い。
おまけにナナシは一言も喋ることなく、正に一心不乱と言った様子でカツカツと黒板にチョークを滑らせている。
「ナナシ、何だよこれ」
ナナシは答えない。
※
やがて書き終えたのか、ナナシがこちらに向き直る。
その顔はいつものヘラヘラした笑顔だったが、何かが違う気がした。
「それ、読んで」
ナナシが本を指差す。
雰囲気からして洋書かと思ったが、中は意外にも日本語で書かれたものだった。
何と書かれていたかは今はもう覚えていないが、何だか意味を成さないような不気味なものだったと思う。
それでも怖いもの見たさもあったのか、僕は書かれた文章を読み上げた。
その時、聞き慣れた声がした。
「あんたたち、何してんの?」
窓枠に寄り掛かり僕らに声を掛けてきたのは、他ならぬアキヤマさんだった。
「面白そうじゃない、あたしも混ぜてよ」
窓枠に足を掛け、中に入ろうとする。
怪しい行為をしていた最中だったので僕も少しビビッたが、久しぶりにアキヤマさんと話せることが嬉しく、僕はアキヤマさんに駆け寄った。
その時。
「アブないぞ、ソレ」
ナナシがアキヤマさんを指差した。
そのナナシの物言いにカチンと来た僕は、ナナシに抗議した。
「ソレってなんだよ、おま…」
「よく見ろよ、ソレはどっから来た?」
「どこって窓からに決まって…」
そこで遅れ馳せながら気付く。
ここは視聴覚室。
三階だ。
※
これはアキヤマさんじゃない。そう気付いた瞬間、『ソレ』は酷く歪んだ笑顔で体をクネクネさせながら僕に近付いて来た。
白目に赤い筋が沢山浮かんでおり、それでも口元は笑っている。
「うぁあぁあぁあ!!!!!!」
僕は無我夢中で『ソレ』を払い除け、外に押し込み、窓を閉めた。
その途端、けたたましくガラスを叩く音がする。
…内側、から。
「ナナシ!!!ナナシ!!」
僕は半狂乱になりながらナナシを呼んだ。
漠然とナナシなら助けてくれる…と思った。でも、ナナシは僕を見て笑っていた。
「ははははは!!最高だよお前!!!!!」
僕は本気でナナシに殺意を抱いた。
※
気が付いた時、僕は汗だくになって床にヘタリ込んでいた。
ナナシが自分のTシャツで、汚いものを拭くかのように僕の顔を拭っていた。
「結局、あの本は何だったんだよ」
叫び過ぎて掠れた声で、僕はナナシに聞いた。ナナシはヘラッと笑うと、
「降霊術みたいなもんさ」
と言った。
「会いたいものを呼び出せる呪文と方位が載ってる。さすがに犬皮を使ってる本だから、ヤバそうだとは思ったけど」
色々なヤバイモンが詰まってるよ、コレ。
ナナシはそう笑いながら言った。
「俺じゃなくて、本を持ってたお前の会いたいやつが出て来たのは誤算だったな。まあ、中身は違うけど。お前、よっぽどアキヤマに会いたかったんだな」
ナナシはそう言うと、またヘラヘラ笑いながら本を抱えて歩いて行った。
ちょうど下校の鐘が鳴り、僕もナナシの後を追う。
※
前を歩くナナシの背中を見ながら、僕は思った。
『色んなヤバイモンが詰まってるよ、コレ』
『俺じゃなくて、本持ってたお前の会いたいやつが出て来たのは誤算だったな』
そこまでして、ナナシは一体何を呼び出したかったのだろう?
その答えを知ることになるのは、もう少し先の話。