私の父方の親族が住む田舎には、1960年代初頭まで、他では聞かない特殊な風習が存在していました。
この風習は、一般的な生贄や飢饉によるものではなく、ある種の宗教的な儀式、供養の一環として行われていたものです。
人々が亡くなった後、その遺体を特定の方法で扱い、霊的な繋がりを祝福するという内容でした。
地元の小さな神社で行われていたこの儀式では、亡くなった人の脳や脊髄が神主によって摂取され、故人の魂を引き継ぐとされていました。
その後、イタコが故人からのメッセージを家族に伝えるという、いわば精神的なコミュニケーションの手段として利用されていたのです。
この習慣は、一聴すると恐ろしいかもしれませんが、当時の人々にとっては、それほど異様なものではなかったようです。
しかし時代が進むにつれ、このような風習も徐々に廃れていきました。
特に1960年代に入ると、法律的な問題や社会的な変化から、この習慣は忌避されるようになりました。
それにも関わらず、村の高齢者たちは先祖が行ってきた方法でこの世を去りたいと願い、新しい神主もそれを受け入れざるを得なくなりました。
その結果、しばらくの間、神主は故人の脳を摂取し続けたのです。
しかし、その行為が原因で、何年か後に神主に異変が起こります。
数日間高熱に襲われた後、神主の顔は異常に腫れ上がり、目は突出し、常に大量の汗を流す体質に変わってしまいました。
水を絶えず飲まなければならないほどの異常な汗と、絶え間ない渇きに苦しむ姿は、まるで何かの呪いにかかったかのようでした。
当然のことながら、家族は神主を病院に連れて行きますが、どの医者もその原因を特定することはできませんでした。
そして、不幸にも神主は半年後、異常な症状の末にこの世を去ります。
その後の解剖で明らかになったのは、彼の脳が生きている間に腐っていたという恐ろしい事実でした。
この出来事が起こった当時、村人たちはこれを風習を捨てた神主への呪いと囁いたものの、この話が広く公にされることはありませんでした。
時が経ち、2000年代に入ると、今度はその神主の子供が似たような症状で苦しむことになります。
病院での詳細な検査にも関わらず、治療法は見つからず、医師たちもこの病気の正体を掴むことができませんでした。
そこで一つの仮説が立てられました。
それは、神主が行っていた人の脳を食する行為が原因で、プリオン病と呼ばれる、脳が徐々にスポンジ状になっていく病気に感染していたのではないかというものです。
この病気は一度発症すると、その血筋で受け継がれる可能性があるとされ、日本にも何世代にもわたってこの病に苦しむ家系が存在すると言われています。
症状は多岐にわたりますが、中には絶え間ない発汗や、人肉を食べたくなるという極めて特異なものもあるとされています。
このような事実を知った際、私は「人肉を食す」というタブーが、ある種の宇宙的な法則やカルマによって禁じられているのかもしれないと感じました。
結果として、神主の子供も病気のせいで早逝し、その脳だけがどこかの研究機関で保存されていると言われています。
この話を最後まで読んでいただいたあなたに告白します。この話の主人公、初めてこの病気に冒された神主の兄弟は、私の父です。
医学の進歩や社会の変化に関わらず、私もまたこの呪いのような病気に冒されるのではないかという不安とともに、日々を過ごしています。