サイトアイコン 怖い話や不思議な体験、異世界に行った話まとめ – ミステリー

お面

蛍(フリー写真)

大学生時代のバイト先だったバーのお客さんの話です。

Kさんはその店に割とよく来るお客さんで、当時20代後半の会社員。僕と同じ茨城出身の人でした。

ちょうど今頃の季節で『蛍』が話題に上り、

「僕の地元は2、3年前まで沢山いましたよ」

「俺の実家の近くじゃ、全然見られないんだよな。いいなぁ、蛍。見てえなぁ」

と話をしたのです。

それから一ヶ月ほど後のこと。

久しぶりに店に顔を出したKさんが、他のお客さんがひけた頃合いを見て、

「笑ってくれてもいいんだけど…」

と言い、ポツポツ淡々とマスターと僕に語り始めました。

僕と話をして間もなく、夏期休暇のKさんは実家に帰省したそうです。

ある夜、やはり蛍が見たくなったKさんは、一人で車で出掛けました。

同じ茨城と言っても、Kさんの実家と僕の地元とはかなり離れていたため、Kさんは知り合いに蛍が見られそうな場所を教えてもらったのです。

車で40分ほどの距離にあるそこは、山の麓の農村地帯でした。

民家も一塊ずつ、まばらに点在するばかり。

ぼんやりと月が出ていなかったら、きっと真っ暗。

その代わり、蛍は本当に結構な数がふわりふわりと飛んでいました。

Kさんはできるだけ民家から離れた山沿いの野道に車を入れて停め、家から持ってきたビールを飲みながら蛍を眺めていたそうです。『風流だなあ』と悦に入りながら。

そのまま良い感じに酔ったKさんは、ちょっと酔いを醒ましてから帰ろうとしているうちに、車の中でうたた寝をしたらしい。

尿意を催して目が覚めた時は、午前0時を回っていたそうです。

「車の外に出て用を足した後、折角だから蛍を捕まえて帰りたいと思ってさ。

その野道をちょい進んだところに蛍がいたから、そーっと近くまで行って…。

その時、見えたんだよ」

その野道の左側は田んぼ、右側はそのまま山に繋がっている雑木林。

Kさんが車を離れて歩いて行ったちょうど横に、山に入る細い道があった。

雑木林の中を、まるでトンネルのように山に向かっている小道…。

その道の奥の方で、何かがふらりと動いた気がした。

月明かりがまばらに落ちているとは言え、林の奥はなお暗い。

暗さに慣れた目で確かめようとしながら、自分の『夜中にこんな場所に一人きり』という状況に突然、猛烈に怖さが湧き上がってきた。

…ふらり。

間違いなく、見えた。林の奥で動く、人影のようなものが。

寒気が走って全身にゾワッと鳥肌が立った。

「ヤバイ、何か分かんねえけどこれはヤバイ!って思ったんだ。なのに、体がすぐには動かないのよ。

で、段々よく見えてきたんだ、それが」

ぼろきれのような布を身にまとった『人』のようなもの。

それが、ふらり、ふらり、と揺れながら、ゆっくりとこちらに近付いて来る。

Kさんはやっと動き出した。

だけど、走って逃げ出したいのに体が言うことを聞かない。

水の中にいるように足が重くて、渾身の力を振り絞っているのにぎくしゃくと歩くようにしか動けない。

車に向かって全力で歩く。

『いやだ、いやだ、いやだ、いやだ…』

パニックになったKさんは、心の中で叫びながら、後ろを振り返ったまま懸命に野道を戻ろうとする。

雑木林の細道から、それが月明かりの中に現れないよう必死に祈りつつ。

でも、それはやはりゆっくりと林から出て来た。

それとの距離は明らかに縮まっていた。

ハッキリと見えた。

ぼろきれのようになった昔の狩衣のようなものを身に纏い、顔にはお面。

だけど、その木で出来たお面には何も彫られておらず、目の部分にも穴すら開いていない。

お面は縄のようなものでぐるぐる巻きに縛り付けられている。

人間なら前など見えっこない。

なのにそれはすーっと体を回し、悪夢のように正確にKさんの方に歩み出した。

ほとり、ほとり、左足と右足をゆっくりと交互に踏み出して、その度に体を不規則に揺らしながら。

『いやだいやだいやだいやだいやだアァァ!』

Kさんがやっと車に潜り込んだ時には、『それ』がもし走ったなら一瞬で追い付かれてしまうほどの近さだったそうです。

ずっとエンジンを掛けっ放しだった車をすぐにバックさせ、事故るんじゃないかというスピードで逃げ帰ったそうです。

『いやだいやだいやだ…』と、心の中で叫びつつ。

マスターも僕も流石に笑い飛ばしたりはしなかったし、逆にKさんも今だに怯えていたという訳でもありません。

ただしそれ以来Kさんは、東京でも残業で遅くなった会社など、ちょっとした暗がりや人気の無い所でもビクッとするようになったらしい。

「アパートの部屋も、出掛ける時に電気を点けて行くんだよ。

じゃないと、帰ってドアを開けた時に、そこに居そうでさ」

その後、少なくとも僕が知る限りでは、Kさんは再びそれを見ることはありませんでした。

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