小学6年生の二学期の途中に地方へ引っ越した。
転校をするのは初めてのことだった。
不安に思っていた僕に最初に話し掛けてきたのは、T君というクラスのリーダー格らしき人で、色々と親切に面倒を見てくれた。
でも他人の悪口を言ったり、○○とは話をしない方がいいよなどと命令したりするので、正直少しうざいと思うようになっていた。
学校は家から歩いてすぐの所にあった。前の学校は電車で一時間も掛かる所だったので、早起きをする習慣がついていた。
※
転校して3日目くらいの朝、家に居ても何もすることがないので、かなり早目だけど登校することにした。
既に先生か職員の人が来ているらしく、門は開いていたけれど、校舎には人気が無かった。
当然一番乗りだと思って教室の扉を開けてみると、男の子が一人先に来ている。
僕は驚いて立ち止まった。
その男の子の座っているのが、僕の席なのだ。
自分の勘違いかと思って何度も確かめてみたのだけど、やはり間違いない。
「あのさ、そこ僕の席だと思うんだけど…」
遠慮がちにそう切り出すと、男の子はにっこり笑って
「あっ、ごめん」
と言い、すぐに席を譲った。
まだクラス全員の顔を覚えていなかったので、同じクラスの奴が席を間違えたのだろうと思い、そのことはすぐに忘れてしまった。
※
一週間くらい経った頃、また早起きをして学校へ出掛けた。
教室の扉を開けると、この日もこの前の男の子が先に来ていた。
しかもまた僕の席に腰かけている。
この時には、この子が同じクラスの奴ではないと解った。
「あのさ…」
と声を掛けると、この前と同じように
「ごめんね」
と言い残して教室を出て行く。
入る教室を間違えたのだろう。そそっかしい奴もいるものだ。そう思った。
※
それからまた暫くして、早朝の誰も居ない廊下を歩いて教室に辿り着くと、やはり同じ男の子が僕の席に座っている。
今度は流石に何か変だなと思った。
机の脇には、割と目立つ色をした前の学校の校章入りの手提げ鞄が掛けっ放しにしてあったので、普通に考えて席を間違えるとは思えない。
それに、教室を間違えたのなら自分の荷物を持っているはずなのに、男の子は手ぶらなのだ。
僕は男の子のすぐ近くに立って、わざと声を掛けずにいた。
男の子はことさら無視するという風ではなく、かと言ってこちらに気付いた素振りは見せずに、ただ居心地悪そうにじっと俯いている。
とうとう痺れを切らして僕は声を掛けた。
男の子はまるで悪いことをしている現場を見つけられたかのような顔で席から滑り降り、
「ごめんね」
と虫の鳴くような声で謝ると、教室から走り出て行った。
※
その日の休み時間に、
「朝学校に来たら何か変な奴が俺の席に座っていてさー」
と話をした。
「それってどんな奴だった」
T君が尋ねた。
「えーと、背はかなり小さい方で、何か弱そうな感じだった。おどおどしてるって言うか。
髪の毛は割と長めで、あと首のここの所に赤っぽいアザがあった。十円玉くらいの大きさの……」
ひいっというような悲鳴を、傍で聞いていた女子が上げた。
T君が僕の胸の辺りを殴りつけた。
「お前、何だよ。ふざけんなよ。どうしてそんな嘘吐くんだよ」
真っ青な顔でそう言うと、教室から出て行った。
※
僕が転校して来る3ヶ月程前に、N君という男の子が自分の住んでいるマンションから転落死した。
僕の机は元々そのN君が使っていたものだったのだ。
僕が転校して来る前日までは、その上に花瓶が乗っていたそうだ。
警察は事故死と判断したが、あれは自殺だったのではと、生徒たちの間で噂になっていた。
N君がTを中心とするグループから酷い虐めを受けていたことは、みんなが知っていた。
4年生くらいからずっと続いていたらしい。
N君の死を担任が報告した時、
「やった。これであいつのうっとうしい顔を見なくても済む。すげーうれしー」
とTは言い放ったそうだ……。
※
僕が早朝の出来事を話したその日から、次第にTはクラスの中で孤立するようになって行った。
あの時のことが切っ掛けになったかどうかは分からない。
ただ単にみんなが大人になって、無闇に威張り散らしたり、陰口を叩いたりすることの低劣さに気付いたのかもしれない。
卒業式の頃には、Tはクラスの誰からも相手にされなくなっていた。
※
あれから僕は寝坊をするようになり、教室に一番乗りすることはなくなってしまったけれど、N君の姿は何度か目にした。
体育館の隅っこに立っていたり、校舎の窓から校庭を見下ろしたりしていた。
今考えると単なる見間違いかもしれないとも思うけど、その時は妙な確信があった。
ああ、またN君が来ているな、と(僕の他にも同じような目撃者が沢山居た)。
退屈そうな、居心地の悪そうな様子だった。
小さな子供が、遊びの仲間に入りたいのに自分から言い出す勇気がなくて、声を掛けてもらえるのをじっと待っている。そんな風にも見えた。
恐いと思ったことは一度もなかった。