山は恐ろしい場所だ。恐怖の源は多岐にわたる。幽霊の噂、野生動物の脅威、予測不能な天候…だが、最も恐ろしいのは人間そのものである。
山へ行くと多くの人が開放感を感じるだろう。爽快な気分になるかもしれない。
しかし、その感覚は時に、私たち人間の内なる境界を越えようとする危険信号かもしれない。
特に、都会の生活で人工物に囲まれている者ほど、その境界線を越えやすいとされる。制約が解かれるのは案外簡単なのだ。
観光地化された山ならまだ安全だ。人工物があることで何とか理性を保てる。
だが、本物の自然の中に長く留まるのは危険を伴う。理性が剥がれ落ち、本能が表面に現れる。
特に遭難した場合は最悪だ。無意識のうちに、「助けが来ないかもしれない」「死んでしまうかもしれない」という恐怖が脳を支配する。
その瞬間、生き延びるために、人は人であることを辞めてしまうかもしれない。
本能のままに行動することは、動物にとっては自然なことだが、人間に戻る道を見失ってしまう恐れがある。
コカ・コーラの炭酸が抜けてしまうように、常識やモラルも失われていく。
だから、もし人手が及んでいない山で「人間のような何か」を見かけたら、それは逃げるべき合図かもしれない。
私の祖母はそういう存在を「アガリビト」と呼んでいた。祖母の住む地域では、それは神のような存在とされている。
山で行方不明になった人々の中には、おそらく「アガッてしまった」と思われる者もいるのではないかと私は思っている。