土地の古老という言葉はすっかり死語ですが、まだ私の子供の頃にはいたんですよね。
土地の昔話や、若い皆さんは聞いたことも無いだろう『日露戦争従軍記』というものまで語ってもらったりもしました。
当時で90歳は行っていたのではないでしょうか。
その古老さんに、とにかく色々な話を聞かせてもらいました。
これもその一つです。
取り敢えず『古老さん』ではあまりよろしくないので、以下では『Sさん』ということにしましょう。
※
大正の頃のこと。
ある日、Sさんの家の傍にある川で、水死体が上がったそうです。
若い男性で、近所の人は誰も知らない人。どこか別の土地から来た人だったみたいです。
自殺か事故か、それとも他殺か、それもはっきりしない。
身元を明らかにできるものも持っておらず、仕方が無いので、取り敢えず○○寺まで運び、お経だけでも上げてもらおうということになりました。
それで、Sさんが○○寺まで運ぶことになったそうです。
大八車と言うのでしょうか、よく時代劇などに出てくる荷車。
大八車そのものかどうか分かりませんが、とにかくその荷車のようなものに乗せて、死体を寺まで運ぶことになりました。
死体に筵を被せて紐で固定し、寺へと向かったそうです。
その途中。ごろごろという車輪の音の他に妙な音がする。
Sさんは服を擦りながら、
「ちょうどこんな感じの音が」
と言ってました。スルスルという感じの音です。
とにかく、そのスルスルという音が付いて来る。
何だろうと振り返っても、何も無い。
死体が変なところで擦れているのかと確認しても、固定した紐が緩んでいる様子も無い。
首を傾げながらまた荷車を引き始めると、やはり音が付いて来る。
スルスルスルスル…Sさんが立ち止まると音はやむが、動き始めると付いて来る。
段々気持ち悪くなりながらも、ようやく○○寺に着き、住職に話をして、死体を運ぼうと筵を開いた時、住職がこう言ったそうです。
「おや、もうひとりの方はどうしたね?」
「もうひとり?」
何のことか解らず問い質すと、住職は
「これは心中だよ。女の方はどうした?」
と言うのです。
いよいよ訳が解らず、Sさんが
「いや、死んでたのはこの人だけでした」
と答えると、住職はこう言ったそうです。
「Sさん、あんた、車の後ろに、女の人が付いて来たのに気が付かなかったか?」
住職には見えたのだそうです。女の人がずっと付いて来ているのが。
「今も立ってるよ。この男の人の傍にね。
女の方の亡骸を探しなさい。ふたりそろわぬことには成仏もできまい」
こう言われてSさんは、慌てて川に走ったそうです。
その後、川の少し上流で女性の死体が見つかったそうです。
どうやら、一緒に飛びこんだ後、二人を結んでいた紐が切れてしまったようで、別々に死体が上がることになってしまったらしい。
※
Sさんはこんな感じのことを言っていました。
「どうやらあのスルスルというのは、着物の女が歩く時にする、衣擦れの音だったのかな」