幼い頃、親の都合でドイツに移住した経験があります。
自然な流れで特別支援学級に入り、徐々にドイツ語を身に付けていきました。
同じクラスには、同様の環境にいたアラブ系の子がいました。
クラスメイトたちは粗野な子ばかりだったため、自然と私はそのアラブの子と仲良くなり、放課後に一緒に遊ぶことが多くなりました。
彼の家に遊びに行くと、彼の母親は白人に見えたため、彼の父親がアラブ系なのだろうかと思っていました。
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ある日、美術の授業で『思い出に残っている絵を描きましょう!』という課題がありました。
私はドラえもんとアラレちゃんと一緒に遊んでいる自分を描きました。
それで隣のアラブの子に、
「日本のロボットだ。日本は優秀だから高性能ロボットが作れるのだ」と見せびらかしました。
アラブの子は、
「私の絵も見てくれる?」と尋ねてきました。
その絵には、建物の中で笑っている兵士に殺された女性が描かれ、内臓や目が飛び出していました。
足元には赤ちゃんの死体が転がっていました。
外では戦車が走り、子供たちや大人たちが踏み潰されていました。
あのとき私は、その残酷な光景に凍りついてしまいました。
それから20年以上が経ちましたが、その光景は今だに私の網膜に焼き付いています。
何が怖かったかと言うと、殺戮行為を働く兵士たちは皆、ニコニコ笑っていたことです。
しかしその絵は教師に検閲され、教室には飾られることはありませんでした。
当然ながら、アラブの子は厳しく叱責されました。
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「どうしてあのような絵を描いたの?」と尋ねると、
「あれは私の国で家族が殺された絵なんだよ」と彼は語りました。