1987年3月15日、兵庫県丹波市の自宅から、西安さんは高校時代の友人Sさんとドライブに出かけた。2人は京都・舞鶴へ向かった。
Sさんは運転免許を取りたてだったので、西安さんが運転した。
「海を見て、食事をして帰った。変わったことはありませんでした」とSさん。
夕方、京都府綾部市の綾部駅近くで、西安さんは「列車で帰る」と車を降りた。
西安さんは約一時間後「無事着いたか」と、春日町のSさん宅に電話している。
それが、西安さんの消息の最後となった。
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それから、不可解な出来事が起きるようになる。
最初は87年5月。母の久子さん(68)が電話を取ると、小さな声が漏れてきた。「僕、学校の横」と聞こえた。震える声の主は息子と思えた。「義行やろ」 声をかけると、電話は切れた。
93年3月ごろの電話は、女児がたどたどしく「歌うから聞いて」と告げた。「明かりをつけましょ、ぼんぼりに…」。ふと思いつき久子さんは問うた。「あんた、義行の子か?」 ・・・返事はなかった。
98年、今度は来訪者があった。集落の区長の男性宅に、地下足袋を履いた男二人が現れ「西安義行さんの両親の家はどこか」と尋ねた。今は亡き区長によると、二人は「西安さんが結婚する相手の近所の者」と名乗ったという。
さらに昨年11月、女の子が「圭子さんはおられますか」と電話してきた。留守を告げると、電話は切れた。