20年くらい前かな。俺がフリーターをやっていた頃の話なんだけど、その当時ヨーロッパの方へ海外旅行に行ったんだよ。
観光目的ではなく労働者ビザを取って2年くらい居たのかなあ…。
詳しい地名は避けるけど、それなりに都会で、治安もまあまあだった。
初めは日本のバイトの蓄えでボロアパートに住んで、何とか食い繋いでいた。
でも金は尽きるだろうし労働者ビザだし、とにかく働かなければと思い、ホテルに厨房の雑用で住み込みで働いていたんだよ。
そのホテルであった出来事。
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そのホテルは昔から続いていて、改築を重ね、古さを少しも感じさせない建物。お客様も結構いらっしゃっていた。
規模的には田舎の大き目のビジネスホテルという感じなんだけどね。
オーナーが普通の優しいおっさんだったんだけど、俺は言葉も片言だし、どこからどう見ても日本人なのに雇うのおかしいだろと思いつつ、背に腹は変えられぬという事でお世話になっていた。
住み込み従業員には3〜4人共同の生活部屋が与えられていたんだけど、夜中に人の話す声が聞こえるんだよ。
住み込み部屋に住んでいるのは俺と同じくらいの青年だけだし、ホテル一階の角部屋だったからフロントかなあとも思ったんだけど、毎晩毎晩聞こえてきててさ。
最初は仕事や海外の生活でいっぱいいっぱいだったから、全然気にならなかったんだけど、生活に慣れてくると逆に声が気になるんだよね。
同じ部屋に居たそいつに聞いても、そんなの聞いた事がないって言うし。
オーナーに聞こうとも思ったんだけど、変な事を聞き機嫌を損ねて首になったら流石にきついから、言い出せないままだった。
仕方がないから気にしない事にしようと思いながら働いていて、その内厨房でもそれなりの仕事を任されるようになっていた。
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ある日、そのホテルの地下にあるワイン倉庫にワインを取りに行ったんだよ。
ワインの銘柄を結構覚えてきた頃で、初めて一人でその倉庫入ったんだけど、その倉庫の奥に鉄の扉があり錠前が掛かっていた。
長いこと開けていないのか、錠前も錆び付いていた。
その時は仕事中だったからさっさとワインを取って仕事場に戻ったんだけど、何度か倉庫に行く内にふと気付いたんだよね。
この扉の奥ってちょうど自分の共同部屋の真下にあるな…と。
例の声については気にならなくなっていたはずなんだけど、その扉の事を意識したら、その声の存在が自分の中で大きくなって行った。
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ある晩、どうしても声が気になって聞き耳を立ててみると、今までどうして気付かなかったんだろうとその時は思ったね。
声がしてるのってさ、ベッドに寝ている時が一番大きかったんだよ。
隣の部屋の壁に耳を当てても違う方向で、外から聞こえてくる訳でもなく、ベッドに耳を当てると声が一番大きく聞こえる。
じゃあベッドから聞こえるのかと言うとそうではなくて、床に耳を当てるとボソボソっと聞こえる。それで「あそこか…」と思った。
それでついついつられるように行っちゃったんだよ、そのワイン倉庫に。
時間にして午前1時くらいだったかな。ホテルの深夜ってフロントに二人居るだけで、静まり返っているんだよね。
慣れてきたとは言え、日本の家屋と違って広いから、昼間の喧騒とのギャップが凄い。
厨房から続くワイン倉庫の階段を降りると、「カツン、カツン」という音だけが響いたりして、俺こんな所に住んでいたのかあ…というくらい異質だったよ。
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それでワイン倉庫に辿り着く。流石に記憶が曖昧なんだけど、実際の広さは20~30畳くらいなのかなあ。
倉庫の扉を開けて電気のスイッチを手探りで探して点けた。
と言っても、20ワットくらいの裸電球が3個程あるだけで、薄明かりが点いただけと言えば良いのかな。
かなり怖がりながら、でも興味はあったからわくわくしながら、奥の扉へ行った。
扉に耳を付けて聞き耳を立てても声は聞こえない。
部屋の下というだけの憶測で来ただけだから、聞こえなくて当然と言えば当然と思いつつ、その扉の錠前に手を掛けたその瞬間だよ。
「バッターン」という音がして、ワイン倉庫の扉が閉まった。開けようとしたんだけど何故か開かない。
こりゃやばいって思ったね、いや、そういう恐怖心じゃなくて、地下のワイン倉庫って通風孔はあるにはあるんだけど、そんな大きくないから酸欠とか思い浮かんじゃって。
でも、こんなに大きな音がしたんだから誰か見回りに来るだろうと思いつつ、ちょっと待ってみた。
裸電球があるだけの地下倉庫に閉じ込められていて、時間の感覚がおかしくなっていたんだろうけど、1時間は待っていたのかなあ…。
眠くなってきちゃって、酸欠などの心配も無さそうだしちょっと眠るかと思い、例の扉の前で座って扉を背に眠ろうとしたその時だよ。
「ガチャ」という小さな音がして錠前が落ちてきた。
思わず「うお」と声を出し、立ち上がって扉に身構えちゃったよ。
数分待ってみるも、気配が何も無いから恐る恐る扉を開けてみた。
錆び付いていてかなり固かったんだけど、ちょっと蹴りをかましつつ開けてさ…。
そこにあったのは10畳くらいの小さな部屋に、何という事のない小さな椅子が一脚あるだけ。
微かに臭かった気がしたけど、カビ臭さもあるし、倉庫が錆び付いてそのままになっていただけなのかなと思った。
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しかし、その椅子に近付こうと部屋に一歩足を踏み入れた時、「バリッ」と何かを踏んでしまった。
倉庫の薄暗い光が差し込んでいるだけだから気付かなかったんだけど、床に何か落ちていたのかよく目を凝らして見ると、明らかに骨だった。
何の骨かはもちろん判らない。でも厨房で働いているから、判ったのは少なくとも調理場で出るような動物の骨じゃないという事だけ。
あ、こりゃやばいなと色んな意味で思って、部屋から出ようと背を向けた時、後ろからあの声が聞こえた。短い声がはっきりと聞こえた。
振り返ったらまずいだろ俺…と思いつつ、好奇心に勝てずに振り返った。
すると女の子が居たんだよ。椅子に座っていた。
妙に小さな椅子だなと思ったのは子供用だからだったんだな…などと呑気に考えつつ、内心とても焦っていて、それなのにその女の子から全然目が離せなかった。
5~8歳くらいなのかな。赤い吊り下げスカートに白いシャツで裸足、金髪お下げだったかなあ。
うつむき加減で顔が見えなかったがずっと座っていて、俺は金縛りに遭っていたのかもしれないけど、普通に硬直状態になっていたので目が離せなくなっちゃってさ。
また数分そんな状態が続いていると、女の子が急にスウッと消えたんだよ。
それなのに俺はまだ体が動かず、椅子から目が離せなかった。
そうしたらまたあの声が聞こえて、声のする方に目をやった。
それは自分の足元で、真っ暗なはずの部屋なのに、さっきの女の子の首から上だけが床からぼーっと光りながら…それも泣いているんだよ。
その顔を見ると、両目がぽっかり空洞なのに俺と目が合っているのは確信出来ていて、血の涙のようなものを流していた。
そして開口一番、
「おにいちゃん、痛い、踏まないでよぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ」
その瞬間、俺の恐怖心が爆発して「うわぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ」と叫んでいた。
体が軽くなって動く事を確認した瞬間、ワイン倉庫の扉をガンガン叩いたら扉が開いてさ。
自室で布団を被って朝まで待ち、次の日ホテルを逃げるように辞めて、日本に帰ったよ。
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本当は警察に届けないといけないんだろうけど、国外で事件に巻き込まれたという経歴が付くとやばそうだからさ…。
ただ今思えば、最初にあの扉を開けて部屋から出ようとした時、はっきりと聞こえた短い声は「助けて」と言っていたような気もするんだよな…。