学生の頃、都内の某ビジネスホテルで警備のアルバイトをしていた。
従業員が仮眠を取る深夜0時から朝の5時まで、簡単なフロント業務と見回り。
あと門限過ぎに戻って来る泊り客に、通用口を開けるのが主な業務だった。
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ある日、台風が接近して激しい豪雨になった。
こんな夜は宿泊客も外出を控えるもので、朝までゆっくりして居られそうな気がした。
僕はカウンター前のソファーに体を沈め、うつらうつらしながら巡回時間まで休んでいた。
飛び込みの客も無いだろうし、外出中の客も居なかった。
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激しい雨音に耳が慣れた頃、はっとして目が覚めた。少し眠ってしまったらしい。
表玄関の方を見ると…、おやっ、人が居る。
と言うか、人が座り込んでいるらしい。
ちょっとただならぬ感じがして、僕は玄関の鍵を取りにフロントへ戻った。
いつもならその横にある通用口に案内するのだが、時々正体を無くすほどの酔客も居るのだ。
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鍵を持って振り返ると、玄関に人影は無かった。
歩いてそこまで行き、鍵を開けて辺りを伺うが、誰も居ない。
自動扉のシリンダー錠を掛けて、ゆっくりと扉を閉め戻ろうとすると、宙に浮いた素足が目に入った。
顔を上げると同時に、すとんと腰が抜けた。
天井に頭を押し付けるような格好で、白い服を着た女性が浮遊していた。
長い黒髪が顔を覆い、表情は見えない。こちらを見ているのかも分からない。
女性は突然体を反転させ、天井に頭を擦り付けるようにカウンターの方へ移動した。
そしてエレベーターホールに向けて再び体を反転させ、こちらの視界から消えた。
その間、一分も無かったと思う。
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幽霊を見たと我に返るまで、その場から動けずに居た。
深夜3時だったが、僕は構わずフロアの照明を点けた。
友人に電話を掛け、今起きた事を興奮して喋った。
ずっと鳥肌が立っており、震えが止まらなかった。
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その日でバイトを辞めたのだが、警備会社の上司は
「そうか、見ちゃったのか」
と言って、引き止めなかった。