オカルトかどうか分からないけど、自分の名字の由来の話。
田舎の方に行くと、地域に同じ苗字の家が密集している集落はよくあると思う。
俺の住んでいた地域も2、3種類の名字が大半を占めていてました。
あ、申し遅れましたが俺の名字は『末吉』です。よく『すえきち』と呼ばれますが『すえよし』です。
九州の方に割と多い苗字のようですが、九州出身ではないです。
それで、周りの家は同じ苗字ばかりなのに自分の家だけ末吉。
小さい頃は『郵便物が間違えて配達されたりしなくて便利だなー』とか、『割と最近になって引っ越して来たんかなー?』ぐらいにしか思っていなかった。
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中学の頃、名字の由来に関するテレビ番組を見た俺は、爺ちゃんに「うちの名字に由来とかあるん?」と何の気なしに聞いてみました。
すると爺ちゃんは何故か少し困ったような顔をしました。
そして暫く考えた後、「お前にも関係のある話だから…」と少しずつ話し始めました。
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昔々、まだ農民が苗字を持っていなかった頃。
住んでいる集落は山間部のため農作物の育ちは悪いが、自分たちが食って行く分くらいは何とかなっていたらしい。
しかしある年から凶作が続き、次第に飢餓で亡くなる者も出てくるようになった。
そこで集落の人達は藁にもすがる思いで祈祷師に豊作の祈願をしてもらうことにした。
その祈祷師は、豊作を望むのであれば
「この集落で家で嫡子となる子が生まれたら、その子の首をはね、体を集落にある一番高い木のできるだけ木の高い所へくくり付け、頭は根元の土を掘り埋めなさい」
と集落の人々に告げた。
そして祈祷師は続けて、
「一度始めるとその家系は代々嫡子を生贄にしなければ再び凶作になるので、途中でやめてはならない」
と警告をした。
その後、間もなくして嫡子が生まれたのが我が家のご先祖様、という訳らしい。
ご先祖様は当然最初は渋っていたらしいが、集落の人達からの説得もあって渋々承諾したようです。
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そして翌年、今までになく豊作となった集落はその後、飢餓で亡くなる者も無かった。
またご先祖様夫婦にも新しく子供も出来、集落の人達から感謝されながら暮らしたそうだ。
しかしその夫婦の嫡子(二人目の男子)も結婚し、嫁が妊娠した頃、祈祷師が再びやって来た。
そして集落の人達に「忘れてはいないだろうな、代々続けなければならん」と伝えた。
そのご先祖様夫婦も集落の人達に説得され、生まれてきた嫡子の首をはね、生贄として体を木に吊るし、頭を埋めた。
その後、何代もこの生贄は続いたらしいが、幸か不幸か家系は途絶えることはなかった。
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そして何代か後のご先祖様の頃、この生贄をやめようと言う人が現れた。
集落の人々は何とか説得して続けさせようとしたが、このご先祖様は承諾しなかった。
集落の人々も何代にも渡って犠牲になってきた家系に、これ以上負担を負わせるのに引け目を感じたのか、このご先祖様の言う通りにして生贄はやめることになった。
しかし祈祷師の警告も無視出来なかった集落の人々は、生贄をやめるに当たって別の祈祷師を呼び、助言を求めた。
その祈祷師が言うには、
「この儀式の呪いは非常に強く簡単には解けない。
解けたとしても、生贄のことを忘れることは、これまで生贄になってきた子の怨念で家系に不幸が起きる」
とのことだった。
祈祷師は一通りの祈祷を行い、生贄を吊っていた木は切り倒された。
そしてその年、凶作とはならなかったが、ご先祖様夫婦の長男は死んだ。
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その後、何代かに渡ってうちの家系は本来嫡子となるべき長男は死産、もしくは若くして亡くなったため、次男が家を継いできた。
実はじいちゃんも父も次男で、本当なら兄が居るはずだが、どちらも若くして亡くなっている。
俺は長男でまだ生きているが結婚もしておらず、弟は結婚して子供も居ることから、呪いはまだ解けていないのか?
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それはそれとして、名字の由来の話に戻ります。
人々が名字を名乗るようになった頃。
ご先祖様は生贄のことを忘れないよう、名字を『末吉』にしました。
木の上に体を吊るして『末』。
土の下に頭を埋めて『吉』。
これが我が家に伝わる名字の由来です。
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うろ覚えなところもあるけど、大体こんな感じだったはず。
小さい頃にちょっと過保護気味に育てられたのも、このせいかもしれないと今更になって思う。
最近首が痛いのは気のせいだと思いたい。