
これは、私の祖父がかつて話してくれた、曖昧ながらも強烈に記憶に残っている不思議な話です。
その主人公は、私の曾祖父にあたる人物か、もしくはそのさらに上の代。はっきりとは覚えていませんが、便宜上「Gさん」と呼ぶことにします。
Gさんは関西地方のある町で、現在で言うところの市役所戸籍課のような仕事をしていたそうです。
まだ大正時代か、それ以前の話。町と呼ぶのが正しいのか、村や県の役所だったのかは不明ですが、彼はその町の人々の戸籍に日々関わる立場にありました。
当時はまだ身分制度の名残が色濃く残っていて、苗字や名前からある程度その人の出自が読み取れたそうです。
士族であれば格式ある苗字、商人や農民、あるいは染物師や金貸しなど、それぞれの職や階層に応じて、独特の傾向があったといいます。
中でもGさんが気に留めたのは、いわゆる被差別部落の人々の苗字。
今でこそ平等の建前があるものの、当時は未だに差別が根強く、苗字からも“あの人たち”と分かるケースがあったのです。
その一族の名前にGさんが注目したのは、ある非常に特徴的な苗字を持つ家系が町に複数点在していることに気付いた時でした。
その苗字は、士族や商人でもなければ、農民でもない。どこか神職のような、拝み屋や祓い屋を連想させるものでした。
江戸時代以前には、祓いや念仏回りのような仕事をする被差別民がいたという記録が民俗学にも残っています。
Gさんはその苗字を持つ人々が、町の「入り口」――つまり、大通りが町に入ってくる要所ごとに住んでいることに気付きます。
それは偶然にしてはあまりにも不自然で、まるで「門番」のように町を囲むように配置されているのです。
さらに不可解だったのは、その一族の異常なまでの死亡率でした。
新生児は次々と2、3年で亡くなり、成人しても30代で病死する者が多かった。
Gさんは最初、貧困や衛生環境のせいかと考えましたが、それでも不可解なほどの多さ。
そしてある年、同じ家から数日おきに3人もの死亡届が出されたことで、Gさんはついに重い腰を上げることにします。
※
ある暑い夏の日。Gさんは休みを利用して、その一族の家のひとつを見に行く決心をします。
歩いて目的地に近付くにつれて、なぜか気温が下がるような違和感を覚えました。
炎天下にもかかわらず、身震いするような寒さ。
そして、目的の家が見えた瞬間、「ここには近づいてはいけない」と本能が告げたそうです。
古びた家屋と荒れ果てた庭。
犯罪の匂いこそないものの、明らかに「何かがおかしい」と感じさせる異様な空気。
ふと屋根を見上げると、視界の隅に小さな黒い猿のような影がよぎり、目を向けた時には消えていた――。
Gさんはその瞬間、「この家は何かに憑かれている」と直感したそうです。
※
後日、この体験をGさんは信頼できる上司に打ち明けました。
黒い猿のような存在のことまで正直に話すと、上司はしばらく沈黙したのち、こう答えたのです。
「それはな、“○○町のニエ”や」
――“ニエ”、つまり生贄。
上司の話によれば、その一族は町に災厄が入り込んでこないよう、祟りや邪悪なものを引き受ける“盾”の役割を代々担わされていたのだといいます。
町の入り口ごとに配置されていたのもそのためで、意図的に“門番”のように配置されたのだと。
本人たちはその役目に気付いていない可能性が高いが、その分、病気や事故に見舞われる頻度が高く、若くして命を落とす者も多い。
上司はこうも付け加えました。
「町によっては、被差別民に限らず、罪を犯した家や、没落した名家、よそ者などにもその役目を押しつけることがある。
本人には理由を告げず、“たまたまそこに住むよう勧められた”形でな」
※
祖父は最後に、こう締めくくりました。
「だから、お前もな、知らん土地で急に一軒家を勧められたり、“この物件だけ空いてるんですよ”って言われたら、よく気をつけるんやで。
もしかすると、そこは“ニエ”を求めている場所かもしれへんからな」
今でも、新しい土地に引っ越すたび、ふとこの話を思い出してしまう自分がいます。