
昔、ゲーム雑誌の編集部で働いていた。
毎日、膨大なゲームと向き合う日々。取材、レビュー、裏技検証……時間に追われる生活の中で、私は次第に「ゲームを遊ぶこと」そのものに楽しみを感じなくなっていた。
それでも、当時の編集部には活気があり、どんなに過酷なスケジュールでも、誰もが笑いながら深夜まで働いていた。
今になって振り返ると、あの頃の編集部には――人ならざる何かが紛れ込んでいたのかもしれない。
※
その日、私は“裏技特集号”の編集を任されていた。
掲載される裏技は、最新の大作から、すでに生産終了した古い機種のソフトまで幅広い。
そして、読者からの質問に直接答えるのも、新人編集である私の仕事だった。
電話で「この技ができません」「バグではないか」などの問い合わせを受けると、社内で実際に確認し、誌面の誤りがないかを検証する。
その日も一本、妙な電話がかかってきた。
『セガサターンの「百物語」で、101話目が見られないんです』
“101話目”。確かにそのゲームには、100話すべてをクリアすると最後に“おまけの話”が出現するという噂があった。
私はマニュアルを開き、
「仕様上、100話すべてを見終えると自動的に再生されるはずです」と答えた。
だが、相手は続けた。
『でも、何度やっても出ないんです。初期版だけの特典じゃないんですか?』
私は一応確認しておきますと伝え、電話を切った。
相手は最後にこう言った。
『明日の16時にもう一度電話します。時間がないので、それまでに調べてください』
※
その夜、編集部は校了作業で朝まで電気が消えなかった。
私はゲーム機をデスクの横に置き、女の子のスタッフ数人と交代で「百物語」をプレイすることにした。
話をひとつ見るたびに蝋燭が一本消える――シンプルな演出だが、深夜の編集室では妙に不気味に感じた。
イヤホン越しに、語り手の稲川氏の声が耳元に低く響く。
「……それでは……はじめましょうか」
部屋の蛍光灯の光が、妙に冷たく感じた。
※
深夜4時を回る頃、私は70話ほど進めていた。
周囲のスタッフは仮眠室や床で眠ってしまい、編集部にはキーボードを打つ音だけが響いている。
私はうつらうつらしながらボタンを押し続けていた。
ふと、音声が途切れた。
画面を見上げると、そこには――老婆の顔が映っていた。
画面いっぱいに、顔の下半分が歪んだ老婆。
目はない。口は、ひきつるように笑っている。
フリーズかと思ったが、画面の下半分だけが震え、老婆の口が小刻みに開閉していた。
そして、イヤホンから同じ言葉が繰り返された。
「……ジーッと見ているんですよ……ジーッと見ているんですよ……」
※
私は電源を切ろうと手を伸ばした。
その瞬間、イヤホンの音が変わった。
クラクション、雷、風、カラスの声、すすり泣き、そして――少女の笑い声。
それらが同時に鳴り響き、音の洪水の中で老婆の顔が崩れ落ちるように歪んでいった。
そして、最後に男の声がした。
「……遅ぇよ」
私は反射的にスイッチを切った。
※
隣で眠っていた同僚を叩き起こし、ゲームを代わってもらった。
「怖いから続きやってくれ」
彼は呆れた顔で笑い、コントローラーを手に取ったが、数分後には顔をしかめて戻ってきた。
「データ、全部消えてるぞ」
見れば、セーブデータの名前欄には、こう表示されていた。
【ギギギギギギギギ】
私は震える手で、そのデータを削除した。
※
翌日、バックアップデータを使って別のスタッフが検証したところ、101話目は普通に再生された。
つまり、単なる読み込みエラー。
そう結論づけられたが、私はあの老婆の顔を今も忘れられない。
しかも、あの夜以降、編集部では奇妙な現象が立て続けに起きた。
突然モニタが点いたり、印刷機が勝手に動いたり。
「深夜になると、もう一人いる気がする」――そう言って、辞めていった同僚もいた。
※
ゲーム開発や雑誌編集という仕事は、人の想念がこもりやすいという。
徹夜、緊張、熱意、そして執念。
そういったものが積み重なる場所には、現実と虚構の境目が曖昧になる瞬間がある。
もしかすると、あの老婆も――誰かが作った“物語”を越えて、こちらの世界を覗いてしまったのかもしれない。
「……ジーッと見ているんですよ……」
あの声が、今もイヤホンの奥で響いている気がする。