サイトアイコン 怖い話や不思議な体験、異世界に行った話まとめ – ミステリー

幽霊屋敷

廃墟

高校を卒業するまで住んでいた街に幽霊屋敷があった。

少し街外れの大きな土地に、広い庭と白い2階建ての家。

2年程前にそれを建てて住んだのは四人家族だった。父親は大学教授。母親は優しそうな人だった記憶がある。

そして、俺とそんなに歳の変わらない姉妹。

住み始めて1ヶ月程経った頃、父親が首を吊った。姉と母親は首を絞められ殺されていた。

無理心中。

妹は姉を絞め殺す父親を見て逃げ隠れ、父親の手から生き延びた。

一人残された妹は、遠くの親戚に引き取られて行った。

住人を失ったその家は、今も取り壊される事なく異様な佇まいを見せている。

これが俺の知る幽霊屋敷だった。

高校1年生の夏休み、俺と同級生の唐沢、武井の3人は幽霊屋敷探検を計画した。

家の中の写真を撮って、休み明けに同級生達に自慢する計画だ。

夜も更けた頃、懐中電灯やカメラ、そして入り込むための道具をリュックに詰め、家を抜け出して集合場所の公園に自転車で集まった。

集合場所から幽霊屋敷には20分程で着いた。

街外れにポツンと立つ白い家。

庭が広いせいなのか、夜に白い色が映えるせいなのか、それは街から孤立しているように思えた。

自転車を少し離れた場所に停め、誰にも見られないように慎重に家の周りを探索した。

ドアは鍵がかかっていて、更に南京錠で固定されており、1階の全ての窓には隙間無く板が打ち付けられていた。

2階の窓には板が無かったが、内側から新聞紙が貼り付けられていて、中の様子は覗けない。

俺達は人目につかない裏手に回り、勝手口近くの小窓を塞ぐ板を外す事にした。

小窓は少し高い位置にあったので、裏手に転がっていた大きな木箱を幾つか積んで、足場を作って釘を抜き始めた。

思っていたよりも簡単に板を取り外す事が出来た。窓から中を覗くが、真っ暗で何も見えない。

懐中電灯を点け、窓越しに中を照らす。丸い光に照らされて、食器棚やテーブルがボンヤリと見えた。

どうやら家財道具は残しっぱなしのようだった。

鍵を開けるため、唐沢が窓をドライバーの柄で叩いた。

「バリン」とガラスは音を立て割れ、そこに出来た隙間から唐沢が手を入れて窓を開ける。

窓は狭く、一人やっと潜り抜ける事ができるくらいの大きさだ。

飛び散ったガラスに気を付けながら、唐沢、次に武井が窓に頭から潜る。

俺が最後に懐中電灯片手に持ちながら窓を潜り抜けた。

そこはキッチンの上だった。窓から降り立つとべコンとアルミが弛む音がした。

先に入った二人は、思い思いに台所を照らしながら「へぇ」とか「ふぅん」などの、納得とも感嘆ともつかない声を出していた。

俺はキッチンの上にしゃがみながら懐中電灯を点けて回りを見渡した。

台所の中は綺麗だった。もちろん床やテーブル等の全てが、薄っすらと埃で白く化粧されている。

しかし全ては整理整頓された状態で、掃除をすればすぐに住めるんじゃないかと思える程だった。

食器棚の中にある食器は、そのまま使えるくらいピカピカだ。

取り敢えずシンクの前に唐沢と武井を呼んで写真を撮った。

「唐沢それ大丈夫かよ?」

武井が唐沢の手を見て言った。

唐沢の手から血が垂れている。

「入る時にガラスで切っちゃったみたいでさ。痛くはないから大丈夫だよ」

唐沢はそう言うと、スタスタと歩き出した。

俺と武井も後に続く。台所を抜けリビングに入った。

広めのリビングは台所と同じように、白く埃が積もっている以外は至って普通だった。

リビングには、動きの止まった大きな置時計があった。

事件の日に動きを止めた訳ではないのだろうが、この時計がこの家を象徴しているように思え、少し悲しくなった。

俺達の間に、少し拍子抜けをしたような緩んだ空気が漂っていた。

リビングを一通り探索した後、廊下へのドアを開けた。廊下はもちろん真っ暗。

俺達は全員懐中電灯の光を廊下の先に向けた。手前側の左右にドア。

左に1つ。右に2つ。その奥に2階へ続く階段が右側にあり、一番奥に玄関が見えた。

「どうする?」

武井の声は少し緊張しているようだった。

「もう少しだけ行ってみようか」

唐沢の提案で、俺達は廊下へ一歩踏み出した。

廊下に入ると、明らかにリビングとは雰囲気が違っていた。空気が重い。

全員口数が少なくなった。何か空気の匂いまで違うような感じがする。

俺は廊下で玄関に向けて写真を一枚撮った。

フラッシュで全体が一瞬浮かび上がる。左のドアに何か見えた気がして懐中電灯を向けた。

お札だ。数枚のお札が左のドアに貼られていた。全員言葉を失った。

みんな同じ想像をしていたと思う。

「取り敢えず右のドアから開けてみるか」

唐沢の言葉に俺と武井は同意した。

お札の無い右側のドアを開けると、脱衣所と風呂場があった。

風呂場に向けて俺はシャッターを切る。特に目ぼしい物は無い。続けてもう一つの右のドアを開けた。

こちらはトイレで、やはり目につくものは何も無かった。

「ここ行ってみるか」

唐沢が緊張した声で、お札の貼ってある左のドアを指差しながら言った。

ちょっと逃げ腰になりながら武井がドアを開けた。

そこは書斎だった。

立派な机があり、壁には奇妙な仮面や装飾品が掛けられ、大きな書棚には難しそうな本、どこの国の物か分からない置物が並んでいた。

俺達はしばし恐怖を忘れて、それらの遺品に目を奪われていた。

「何か包みがあったよ」

武井が書棚で何かを見つけたようだった。

それは手の平くらいの大きさで、油紙で何重にも包まれている。

小さめのシールが貼られており、手書きで「アフンチャロエク」と片仮名で書かれていた。

武井が丁寧に油紙の包みを開いた。

中には土器のような材質の、皿とも装飾品ともつかない奇妙な平べったい物が入っていた。

真ん中が少し窪んでいて、それを取り囲むように不思議な絵柄の装飾がされている。

唐沢と武井でそれを戦利品のように持たせ、記念写真を撮った。

「お前、血をつけるなよ」

唐沢の手の血が「戦利品」に付いたのを見て、武井が言った時だった。

「ギシ…ギシ…ギシ…」

突然、家鳴りのような音が部屋に響いた。

俺達は緊張して周りをキョロキョロと見回した。

家鳴りは10秒程続いた。

家鳴りが収まると静寂が訪れた。

唐沢が口を開いた。

「地震…かな」

「勝手に触ったから怒ったんじゃないか?」

武井が冗談なのか本気なのか分からない事を言った。

武井が「戦利品」をきちんと包み直した。

全員この書斎が怖くなったんだと思う。

「戦利品」を元の場所に戻すと、3人とも何も言わずに書斎から出た。

出る時に、俺は無人の書斎に向けシャッターを切った。

残すは2階だけとなった。

書斎を出て玄関の方へと歩く。

廊下は変わらず重い空気だったが、書斎を出たせいなのか、3人とも少し気持ちに余裕ができたみたいだった。

階段を昇る前に、玄関に二人を並ばせて写真を撮る事にした。

ファインダー越しに二人を見る。

武井と唐沢はおどけた顔をしている。

俺はシャッターを切って、二人に良い写真が撮れたと告げた。

二人は俺の話を聞いていなかった。

二人の目線が俺の後ろにある事に気付き、俺は振り返った。

書斎のドアがゆっくりと開き始めていた。

三人の目は書斎のドアに釘付けになった。

俺は後ずさりしながら、玄関のドアまで下る。

全員の懐中電灯が向けられる中、ドアは後ろを隠すように、俺達の正面を向いて止まった。

俺は後ろ手に、玄関のドアノブを回そうとしたが、向こう側から固定されているためか全く動かなかった。

俺の様子に気付いた二人が横目に俺を見た。

俺は震える小声で、玄関が開かない事を二人告げた。

「ひっ」

目をドアに戻した時、武井が嗚咽にも似た短い悲鳴を上げた。

俺と唐沢は武井の照らしている先を見た。

ドアの端に白い指。

ドアを掴むような指先が照らし出されていた。

俺達は動けなかった。

金縛りではなく、恐怖で竦み動けなかった。

足がガクガクと震えて力が入らない。

全員悲鳴も出せずに、ドアを掴む手を凝視していた。

ドアに変化が現れた。

手の上に少しずつ黒い塊がせり出し始めた。

震えながら、ただそれを見つめる俺達。

黒い塊は頭だった。

直角にドアからせり出す頭。

黒く短い髪の毛に続いて、ドアの陰から縦に並ぶ目が現れた。

目は人間とは思えない程大きく見開かれていた。

「うわぁぁぁ!」

目が見えた瞬間、唐沢が悲鳴を上げて階段を駆け上がった。

その悲鳴を合図に、俺と武井も呪縛が解けたかのように体が動き出し、俺達三人は、それぞれ悲鳴を上げながら階段を駆け上がった。

四方八方に揺れる懐中電灯の光を追って、俺は階段を駆け上がった。

俺の懐中電灯で、断続的に前を走る二人が照らし出される。

二人を見失わないように必死で追った。

唐沢が突き当たりのドアを開け、俺達は部屋に飛び込み、急いでドアを閉めた。

事態が上手く飲み込めなくて、誰も言葉を発する事ができなかった。

後ろ手にドアを押さえながら、俺は部屋を見渡した。

窓に内側から新聞紙が貼られてるので室内は暗かったが、目が暗闇に慣れていたのか、懐中電灯で照らさなくてもボンヤリと全体の様子が見て取れた。

奥の窓際に机があり、上に小物が散乱している。

右には押入れ、左にはベッドがあった。

部屋全体の雰囲気が、今の状況には似つかわしくないファンシーな感じの部屋だった。

俺達は息を潜めてドアの外の様子を窺った。

階段や廊下の軋みは聞こえてこない。

押し潰されそうな静寂だ。

何分経ったのか分からないが、少し落ち着いてきた頃だった。

「ぉーぃ」

遠くから男の声が聞こえ、俺は一瞬身を固くした。

1階から呼びかけたような声の遠さだ。

「誰か助けに来たのかも…」

搾り出すような声で武井が言った。

唐沢は否定も同意もせず、ただ視線を武井に移した。

確かに俺達の騒ぎが外に聞こえて、誰か来た可能性はある。

でも今まで家の中に入ってくるような物音はしていない…。

俺はそんな事を考えていた。

「ぉーぃ」

また同じ声が呼ぶのが聞こえた。

2回目の声を聞いて、堪らずに武井が大声で叫んだ。

「ここにいます!助けてください!」

俺と唐沢は叫ばなかった。

多分、唐沢も階下からの声の正体に自信が無かったのだろう。

「おーい!ここです助けてください!おーい!…」

武井が一頻り叫んだ後、俺達はドアに耳を寄せて反応を伺った。

ドアのすぐ裏側から低い声がした。

「ここにいるのか」

いきなり聞こえた低い声に、三人共腰が抜けそうになりながら慌ててドアから遠ざかった。

全員の視線がドアに集まる。

いくら待ってもドアに変化は無かった。

それが逆に怖かった。

唐沢と武井は、俺以上に恐怖に押し潰されていた。

「場所がばれた…逃げなきゃ…逃げなきゃ…逃げなきゃ…場所がばれた…」

唐沢は恐怖のためか、同じ言葉を繰り返し呟いている。

助かると思って叫んだ武井は、体育座りで俯いたまま小刻みに震えている。

俺は努めて冷静な口調で、窓から逃げ出そうと二人に提案した。

唐沢がそれに応えた。

「そうだな。2階なら何とか降りられるかもしれない…。

…うん…そうだ…でも…うん…だから…」

唐沢が途中から自問自答し始めたので、俺は肩を掴み揺さぶった。

唐沢の頭がぐらぐらと揺れる。

目の焦点が少しおかしくなっていて、俺が見えていないみたいだった。

俺は武井に助けを求めて声をかけた。

しかし武井はずっと座って俯いたまま震えている。

仕方なく二人を放置して、俺は窓の新聞紙を一人で剥がし始めた。

ガラスが露わになって街灯の灯りが遠くに見えた時、俺は安堵感で泣きそうになった。

窓の新聞紙を剥がし終わった時、窓に人影のようなものが映った気がして振り返った。

いつの間にか唐沢と武井が、俺に背を向け並んで立っていた。

俺が大丈夫かと問いかけても振り向きもしない。

背を向けたまま、唐沢が抑揚の無い口調で喋り始めた。

「窓からそのまま降りるのは危ない」

「そうだね」

武井が、やはり抑揚の無い口調で応える。

「隣の部屋にロープがあったから持ってくるよ」

「そうだね」

そう言い終えると、二人はスタスタと歩き出した。

唖然とする俺を尻目に、こちらを一瞥もせず二人はドアを普通に開けて部屋から出て行ってしまった。

俺は二人の事が怖くなり、一人で窓から逃げ出そうか悩んだ。

あいつらは、絶対俺の知っている二人じゃない。

でも友達を見捨てて逃げるなんて…。

ミシミシと廊下を歩く音に続いて、ドアを開閉する音が聞こえた。

静まり返った家の中、壁越しにざわめきのような音が聞こえる。

二人が何かを喋っているようだったが、内容までは判らなかった。

内容を聞こうと、俺が壁に聞き耳を立てていると突然、

ゲラゲラゲラ

ゲラゲラゲラ

二人の笑い声が聞こえた。

それは凄く気持ち悪い笑い方で、俺は二人がそんな笑い方をするのを初めて聞いた。

笑い声を聞いた俺は、一人で逃げ出す決心をした。

窓の鍵を開けようとしたが、鍵が錆びているのか、指先が震えているせいなのか上手く開けられない。

そのうち隣の部屋からドアの開閉する音。

慌ててガラスに拳を振り下ろすが、ガラスは割れない。

ギシギシと廊下を歩く音が近付く。

俺は部屋を見渡し、咄嗟にベッドの下に潜り込んだ。

気配を消そうと息を殺す。

ドアが開く音がして二人が入って来た。

俺はベッドの下から二人の靴の動きを見ていた。

入って来た彼らは、俺が居ない事を確かめているのか、暫く立ち止まっていた。

二人の靴の横にロープらしきものの端が見える。

二人が本当にロープを調達してきてくれた事で、俺は少しだけホッとした。

ベッドの下から出ようかとも思ったが、さっきの態度と笑い声が気になり、もう少しだけ様子を見る事にした。

二人の靴は少し立ち止まり、何も言わずに窓に向かって歩き出した。

壁際で二人が立ち止まると、

「カチャ」

俺が難儀した窓の鍵がすんなり開く音がした。

続けて聞こえる窓がレールを滑る音。

唐沢の声が聞こえた。

「ここに縛り付けよう」

「そうだね」

相変わらず二人の声には抑揚が無かった。

二人の靴は揃って机の方を向き、暫くゴソゴソと作業している気配がした。

暫くすると作業をし終えたのか、二人の靴は再び窓に向いた。

そして窓枠に上ったのだろうか、俺の視界から二人の靴が消えた。

唐沢の声が聞こえた。

「じゃあ逃げよう。ちゃんと首にかけて」

「そうだね」

武井が言い終わると同時に、机が急に窓の方に引っ張られるように動き、片方の机の脚が少し浮いた。

「ダン」

続けて大きな何かが壁に当たったような音が響く。

「ビタビタビタン…ビタン…ビタビタン…」

柔らかいもので連続して叩くような音が激しく聞こえていたが、段々と途絶えがちになり、やがてそれも消えて、ギシギシと軋む音だけが残った。

俺は二人の様子を想像して、ベッドの下で体を丸めて震えていた。

どれくらい時間が経ったのだろうか。

時折聞こえてくる軋みの中で、俺は震えて動けずにいた。

時間の感覚が全く無い。

ベッドの下で刻々と時間が過ぎる。

「ギッ…ギッ…ギッ…」

ずっと聞こえている軋みに混じって、別の軋みが聞こえている事に、ふと俺は気付いた。

それはドアを隔てた廊下の奥から聞こえて来た。

ゆっくりと、しかし確実にこの部屋に近付いて来る。

ドアの前で止まる軋みの音。

しばしの静寂があった。

俺は悲鳴が漏れないように、震える手で自分の口を押さえた。

「キィ」という軽い音と共にドアが開いた。

ドアの辺りは暗くてよく見えないが、立って様子を見ているような気配がある。

じっと身動きをせずに俺はドア付近の暗がりをじっと見つめていた。

暗い視界に足が見えた。

男の裸足だ。

気配が動き出す。

足はゆっくりと歩き出した。

部屋をゆっくりと一周するように歩く足。

暗闇のせいなのか、その足は妙に青白く見える。

足がベッドの傍で止まった。

口を押さえている俺の手に思わず力が入る。

いきなりここを覗き込まれそうな気がして、叫び声を上げたくなるのを必死に堪えた。

足は暫く立ち止り、やがてドアに向かってゆっくりと動き出した。

ドアが開き、暗闇の中に足が吸い込まれ、ゆっくりとドアは閉まった。

廊下の軋みが聞こえ、段々遠ざかって行く。

俺は音を立てないようにベッドから抜け出た。

ここにいたら、いつか「アレ」に見つかる。

その恐怖が俺の体を動かした。

ベッドから抜け出た俺の視界にロープが目に入った。

机に結ばれている二本のロープは、開いている窓の外にピンと伸びている。

凄い重さで引っ張られて、机は窓際で脚が浮いて引っかかっているような状態だった。

ロープはもう一本あった。

同じように机に結ばれているが、ロープ自体は机の上に置かれていた。

端は頭くらいの大きさの輪に結ばれている。

それを見て、俺は背筋に冷たいものを感じた。

窓から逃げなきゃいけないのは解っていたが、残されたロープを見ると、どうしても窓に近付く気にならない。

窓に行くと、あの二人と同じ運命が待ち受けている気がした。

そして何よりも、あの二人に近付くのが怖かった。

かと言ってドアを開けて、「アレ」が徘徊している廊下を通って、他の部屋に行くのも無理だった。

どこかに逃げ場が無いのかと、俺は必死に部屋の中を見渡した。

しかし、窓以外に逃げ場は無かった。

覚悟を決めた俺は、残されたロープを使って窓から降りる事にした。

出来るだけ窓に近付かないように、二人の方を見ないようにして、手を伸ばし机上のロープを掴み取る。

輪になっている端をほどこうと、必死で爪を立てた。

段々ロープがほぐれて輪が外れそうになる。

その時、視線を感じて俺はドアの方を振り返った。

ドアに変化は無い。

胸を撫で下ろして視線をロープに戻そうとした時、目の端にそれが見えた。

窓に二つの半円の影。

唐沢と武井が、窓から目から上だけを出して並んでじっとこちらを見ていた。

俺は弾かれたように後ずさりした。

目を見開いて二人は俺を凝視している。

その目に人間的なものは微塵も感じられなかった。

背中がドアにぶつかった。

ぶつかった音を合図に、ドアの向こう側の少し遠くから声がした。

「ぉーぃ」

「ギッ…ギッ…ギッ…」

声と同時に、ゆっくりと歩く軋みが聞こえ始めた。

俺はもう逃げ場所が無くなったと思った。

またゆっくりと、しかし確実に軋みはこの部屋に近付いて来た。

行き場を失った俺は、ここから逃げたい一心で思わず押入れに入った。

すぐに逃げ場が無くなった事に気付き、後悔したがもう遅かった。

入った直後にドアが開く音がした。

俺は息を潜めた。

ギシギシと室内をゆっくりと歩き回るような気配。

気配は一通り部屋を歩き回る。

そしてドアの辺りに戻って来る。

再びドアが開く音。

俺は少しだけ安堵した。

その時、俺の足元の板が「ギシッ」と軋んだ。

俺は気配を消そうと息を止めた。

「そこかい」

慌てて俺は手で押入れの襖を押さえた。

今度は襖のすぐ向こうで声がした。

「そこにいたのかい」

途端にグイグイと襖を開こうとする力を感じた。

俺は慌てて力一杯押さえた。

襖を開けようとする力はどんどん強くなる。

俺は渾身の力を込めて、押入れの扉を押さえる。

向こう側から開けようとしている力は、もう押さえられないくらい凄い力になってきた。

両側から力がかかって、襖がグラグラして今にも外れそうになる。

俺は涙をこぼしながら「ここにはいません」と何回も叫んだ。

どれだけの間、その綱引きが行われたのだろう。

一瞬俺の手が滑り、扉が凄い勢いで開けられた。

途端に俺に沢山の光が当てられて、目が眩んで何も見えなくなった。

誰かが俺に何か言っているようだったが、よく解らなかった。

とにかく俺は「ここにはいません」「ここにはいません」と叫んだ。

通報で駆け付けた警察官に保護された俺は、沢山の取調べを受ける事になった。

何があった。

何故あそこに行った。

二人は何故死んだ。

お前はその時何をしていた。

俺はあの家で起きた事を、取調室で事細かに説明した。

最初は薬物を疑われたが、検査結果は当然シロだった。

当然、二人の死に関する関与も疑われたが、ロープのあった部屋やロープそのものから俺の痕跡が全く出てこなかったので疑いを晴らすことが出来た。

しかし俺の目撃証言は、全くと言って良い程無視された。

あの家の中には、俺達三人以外の足跡は見つからなかったらしい。

年配の警察官が俺の調書を書き終わり、それに俺がサインをする時にボソッと呟いた。

「また押入れで助った…か」

結局二人は原因不明のヒステリーでの自殺という事になった。

最後にもう少しだけ報告を。

あの家で撮った写真を、警察は結局返してくれなかった。

ただ取り調べの時、写真について質問をされた。

質問は「書斎と玄関で写真を撮った時、他に誰かいたか」という内容だった。

俺が「誰もいなかった」と告げると、取調官は怪訝そうな顔をした。

しかしそれ以上その事については聞かれなかった。

あの「戦利品」については、書いてあった言葉はとある民族の言葉で「冥界への道」を意味する事は案外すぐに判った。

でもそれ以上の事は、どんなに調べても俺には判らなかった。

今もあの家にあるのだろうか。

あの事件後も夜中に窓を見ると、目から上だけを出して俺を見つめる二人が見える。

それを言うと、親、友人、医者、みんなが俺に同情した。

いつか心の傷は癒える。もう安心して大丈夫だ、と。

今夜も二人は目だけを出して、窓の外から抑揚の無い口調で俺に語りかける。

「ずっと待っているよ」

「そうだね」

これが幻覚だと言い切る自信が俺には無い。

もう一度あそこ行ってみれば分かるのだろうか。

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