以前に住んでいたマンションの大家さんは、御主人が亡くなったのを機に田舎の土地を処分し、都会にマンションを建て息子夫婦と同居した。
老女は何かと話し掛けてくれ、俺も機会があれば田舎の怖い話を聞こうという思惑もあり、愛想良く話していた。
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ある時、老女が思い詰めた顔で「神さんが怒っとる…」と呟いた。
聞くと、売った山の一つが開かれ、屎尿処理場が建てられたと言う。
「○○の命を貰うと言われてな…」
○○ちゃんは、幼稚園に通う彼女の孫である。
「でも…権利も移して、開発にも全く関わってないんじゃ…」
そんな俺の言葉を遮るように老女が言ったのは、その山の神様は真っ白い大きな体をした利口な鹿を持っていて、こんな都会に出て来ても老女の元に辿り着き、彼女の部屋の窓から顔を出したという。
俺は呆気にとられ、話をしているマンションの前から隣の大きな一戸建てを見つめた。
鹿は人の言葉で、山を穢したことを神様が怒り、代償に孫を貰うとを告げたという。
老女は泣いて許しを乞い、孫の代わりに自分を連れて行くよう神様に掛け合ってくれと頼んだそうだ。
鹿は何度も首を横に振ったが、老女の熱心さに折れたのか、3日待てと言い残し消えたという。
突拍子もない話だけに、失礼ながら痴呆も疑ったが、真剣な眼差しと内容を前に神妙に聞くしかなかった。
「祟るのは筋違い…」
再び俺が言いかけた時に、老女が言った言葉は今も忘れられない。
「神さんは、自分を知るもんや奉ったもんに祟る」
※
偶然にも老女は3日後に亡くなった。
「明け方に鹿が来て、私で構わんと言った。
アンタにしか話してないから、挨拶しとかなきゃなと思って。
色々ありがとね」
嬉々としてそう言った数時間後の死だった。
あんな笑顔で死ぬ前の挨拶をされたのは、後にも先にも一度だけだ。