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リングの向こう側

地下のまる穴

これは十七年前、高校三年の冬に経験した出来事である。

当時の私は、後に失われることになる記憶を補うため、手帳に断片的なメモを残していた。

本稿は、その手帳と微かに残る実体験を照合し、脚色を極力排したうえで再構成したものである。

私の故郷は、稲田と山だけが連なる典型的な過疎地域だった。

遊び場は原付を一時間走らせて辿り着くカラオケボックスくらいしかなく、高校生の私たちは慢性的な退屈と戦っていた。

一九九一年、そんな土地に突如として巨大な新興宗教施設が建設される計画が浮上した。

町は蜂の巣を突いたような騒ぎとなり、父母を含む多くの住民が反対集会や陳情に奔走した。

しかし、宗教団体は「地域振興への寄付」という条件を示し、行政は住民の声を追認しないまま建設を許可したと噂された。

施設は東京ドーム二~三個分に及ぶ敷地を要し、完成したのは私が高校二年の秋である。

門柱の上に彫られた般若面のようなレリーフが異様な威圧感を放ち、私たちはその宗教を半ば揶揄して「悪魔教」あるいは「般若団体」と呼んだ。

高校三年生の冬休み。

クラスメイトのAが「可愛い女性信者が買い物に来るらしい。肝試しへ行こう」と提案した。

Aの実家は町で唯一の大型スーパーを経営しており、施設の信者が毎日数万円単位で買い物をするため、両親はすっかり“上客”扱いに傾いていたらしい。

私を含む同級生五人と、後輩二名――計七名が夜十時、廃郵便局前に集まる手はずとなった。

だが当日、Dと後輩Fが姿を現さず、五名で決行することになる。

門前の警戒灯は消えていたが、敷地奥の一室だけに灯が点っていた。

Aは「裏手に小門がある」と言い、私たちは彼の案内で人ひとりがやっと通れる扉から無断侵入した。

敷地はおよそ百メートルの更地で、その奥に奇妙な外観の大型建物が三棟並ぶ。

建物間の広場には、公園のように舗装された一角と新品同様の公衆トイレ、そして木製ベンチがあった。

一服ののち、Aはトイレへ向かい、小声で私たちを呼びつけた。

大便個室の扉を開けると、そこには便器ではなく地下へと続くコンクリート階段が口を開けていた。

Aは躊躇なく「降りよう」と言い、後輩二名が同調。

Bと私は危険を訴えたが、多数決に押される形で階段を前に待機することになった。

Aたちが消えて五分。

遠方から複数の足音が近づき、私とBは一気に緊張した。

個室の取手を試すも鍵は開かず、逃げ場は階段しか残されていなかった。

「仕方ない、降りるぞ」――Bの判断で私たちは暗い階段を下りる。

十段ほどで行き止まりの扉に突き当たり、恐る恐る開くと、十五畳ほどの無機質なコンクリート室が現れた。

中央には、部屋の対角を満たすほど巨大な金属製リングが縦に吊られている。

異様さに目を奪われていると、背後からトイレ階を下る足音が迫ってきた。

Bは恐怖に駆られリングへ跳び込むように飛んだ。

瞬間、彼の全身がリングの中心で霧散したかのように消え失せた。

突然の消失に声も出ない私の前で、扉がわずかに開き、王冠を戴く白髪の老人――性別すら判別不能なその者が顔だけを覗かせ、底知れぬ笑みを浮かべた。

理屈を超えた悪意を前に、私は悲鳴を漏らし、反射的にリングへ跳躍した。

次の瞬間、視界は闇に溶けた。

視界が戻ったとき、私は点滴スタンドの下で仰向けになっていた。

窓の外には茜色の夕焼けが広がり、カーテンに長い影を落としていた。

扉が開き、看護師が顔をのぞかせた瞬間、彼女は悲鳴に近い声でナースステーションへ駆け去って行った。

担当医らが駆けつけ、「○○君、聞こえるね?」と私に語りかけた。

しかし私は○○という名に覚えがなく、ただ首を傾げるしかなかった。

まもなく中年女性と十代半ばの少女が病室に飛び込み、涙ながらに私の手を握った。

「おかえり、お兄ちゃん」

「よかった、もう目覚めないのかと」

私は妹など持っていないし、母の顔も別人だった。

「あなた方は誰ですか」――精いっぱいの声で尋ねると、二人はさらに泣き崩れた。

医師は私に二つの事実を告げた。

第一に、私は高校帰りに倒れ、ほぼ二年間昏睡していたということ。

第二に、意識回復後に家族を認識できないのは外傷性健忘の症状だということ。

「時間が経てば必ず思い出せますよ」――その言葉は慰めのようでいて、どこまでも空虚だった。

初めて立ち上がった夜、洗面所の鏡に映った顔は私の記憶と一致しなかった。

面長の輪郭、薄い唇、見覚えのない切れ長の目――私は絶句し、病室へ戻る途中で意識を喪失したらしい。

以後一か月、私は過去の断片を何度も医師に語ったが、ことごとく「夢の投影」と結論づけられた。

退院すると、私は“父”“母”“妹”を名乗る家族に伴われて神奈川県内の住宅街へ移った。

県名も通貨名も歴史教科書の人物も、私にとっては聞き覚えのない単語だった。

にもかかわらず、テレビ・新聞・家電など生活インフラはほとんど違和感なく受け入れられた。

「前世か、あるいは長い夢だったのだろう」――そう考え始めるほどに、旧世界の景色が霞んでゆく。

二十歳にして私は高校三年へ復学した。

年齢差にも拘わらず、周囲は“記憶障害からの社会復帰”と温かく迎えてくれた。

昼休み、校庭のベンチでコンビニのパンを頬張りながら、私は自分が誰なのかを測りかねていた。

夏休みの課題レポート資料を探しに書店へ入ったときのことである。

棚の背表紙に、見覚えのある四文字――あの宗教の正式名称がはっきりと印刷されていた。

私は凍りついた指で新書を抜き取り、頁を繰った。

そこには「世界一〇〇か国に信者を擁する巨大組織」として、その団体が紹介されていた。

私の“前の世界”では、無名の新興宗教が、ここでは国際教団に化けていた。

書籍を買い込み、夜を徹して読破したが、脱出口は示されていなかった。

家族や友人に語れば、再び医師の観察下に置かれるだけだ。

私は本を段ボールに詰め、クローゼットの奥へと封印した。

「ここで生きるしかない」――自分にそう言い聞かせた。

二〇〇八年の春、職場から帰宅すると、差出人不明の封書がポストに入っていた。

便箋には端正な字でこう記されている。

「私はあなたを知っています。あなたも私を知っているはずです。あなたは“□□”という本当の名前を覚えていますか」

“□□”――かろうじて懐かしさを伴う響きだった。

一週間後、二通目が届いた。

「こちらに来ているのはどうやら私とあなたの二人だけのようです。二十五日十九時、○○駅前の喫茶○○で待ちます。必ず一人で来てください」

差出人は“○○”と名乗り、私はその名に確かな既視感を覚えたが、顔は思い出せなかった。

私は婚約者と妹に「しばらく出張」とだけ伝え、指定の日時に電車へ乗った。

窓に映る自分はすっかり“こちら側”の人間だ。

しかし、喫茶店の扉を開けた瞬間、私の鼓動は十七年前の冬へ逆戻りした。

店内の奥、すみれ色のスカーフを巻いた中年男性が立ち上がった。

眉間のほくろに見覚えがあり、私は反射的に「B……?」と声を漏らした。

彼は深く頷き、震える声で言った。

「あの夜、リングを跳んだ直後、俺も病院のベッドだった。質問攻めに遭い、別人として暮らしてきた」

「でも、十七年間で思い出せたのは君だけだった」

私たちは互いの記憶を突き合わせた。

リング、王冠の老人、トイレの足音――核心部分は完全に一致した。

違っていたのは、Bが目覚めた場所が秋田県の病院だったことと、“家族構成”が私とは異なっていたことだ。

「世界が一本化されたのか、俺たちが異物なのか、答えは出ない」―Bはそう締めくくった。

Bの手には、三通目の予告状が握られていた。

“次はあなた方二人にお会いします。追跡者より”

差出人の署名欄には、人名ではなく宗教団体の紋章が印刷されていた。

私たちは店を出て、人通りの絶えた高架下で無言のまま別れた。

いま、この文章を自室のパソコンで打ちながらも、背後の影に神経を尖らせている。

十七年前の“まる穴”が現実だったのか、それとも精神の迷路だったのか――判定不能のまま時だけが進む。

それでも私は宣言しておきたい。

「あの輪を再び潜ることがあっても、今度こそ自分の名前を取り戻す」と。

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